先週、再び日本からの知人グループがザンビアを訪れてくれました。
これで僕の任地を訪れてくれた日本人は、延べ14人目。
今回来てくれたメンバーは全員大学院の2年生で
修士課程の卒業旅行先としてザンビアを選んでくれました。
貴重な時間とお金を使って、記念すべき卒業旅行の行き先として
ザンビアに来てくれた事、とても嬉しかったです。
ザンビアでの滞在期間のうち、
僕の住む街マザブカには3泊もしてくれたので、
街や学校を見学するだけでなく、
広大な青空マーケットで買い物リストを渡して
「大人の初めてのお使い」をしてもらったり(笑)、
学校で異文化交流の時間を設けたり、
同僚の先生の自宅で鶏を絞めてザンビア料理を一緒に食べたりと、
ちょっとしたスタディ・ツアーのような企画を行いました。

日本のことを色々と紹介してくれました

生徒もウキウキ

ここが「初めてのお使い」ゲーム会場

買ってきた鶏は自分達で捌いてもらいました
そして、当校カオンガBasic Schoolの子ども達には、
「日本から来るお客さんにダンスを見せよう!」
と言って「日本文化クラブ」を創設し、
生徒有志を募って本番の数週間前からソーラン節を教えていました。
昨年8月に日本人グループが来てくれた際にも
ソーラン節の指導はしていたので、
今回はただ踊るだけでなく、
クオリティを高めることも生徒に求めました。
興味本位で1〜2回だけ練習に来て飽きる生徒が大半だった中、
熱心に練習して本番まで最終的に残った生徒は約10人でした。
金八先生最終回でソーラン節を踊る動画を鑑賞したり、
生徒の踊りを毎回ビデオに撮って修正個所を確認させたりしながら、
生徒中心に練習を重ねさせました。
また、前回は用意できなかった「はっぴ」と「ハチマキ」も調達して、
衣装も日本風にして本番に臨みました。
期末テストも運動会も、あらゆる学校行事の準備が
当日か前日にしか始まらないザンビアの学校で、
何かに向かって毎日(と言っても2週間ちょっとですが)練習するという経験自体、
生徒達には初めてのことだったと思います。
例えば運動会であれば、
練習しててもしてなくても、本人にヤル気があっても無くても、
どれだけ生活態度が悪くても、一番足の速い生徒を勝手に先生が代表に選ぶだけです。
「学校行事の教育的価値はその準備の過程にある」という事を他の先生に伝えたくて、
わざと目につきやすい教室を使って練習をしてきました。
本番前日には緊張の表情を浮かべていた生徒達が印象的でした。

Kaonga Basicソーラン隊

元気いっぱいの踊りです
このウェルカムダンスを観てくれた日本人ビジターの一人が、
ザンビアの子ども達のソーラン節を踊る姿に感動したと言って、
涙を流してくれました。
そんな美しい心を子ども達の前で見せてくれたことが、とても嬉しかったです。
+ + + + +
ザンビアの子ども達にも、こんな大人になって欲しい。
カンニングも不正も何でもありの中で
結果だけが評価される環境に慣れ切ってしまった子ども達に、
出来ない子どもを「ダメな奴」と切り捨てるだけで、
自分のクラスのテスト結果を改ざんすることが当たり前の腐った教師に囲まれた子ども達に、
目標に向かって努力を重ねることそれ自体の素晴らしさを知って欲しい。
スポーツや芸術に触れた際に、パフォーマンスを観て囃し立てるだけでなく、
そこに至るまでの長い道のりに想いを馳せ、
「頑張ったね」と讃える事の出来る大人になって欲しい。
そんな願いを、自分以外の外国人からも伝えてもらったようです。
彼女の涙は、ザンビアの子ども達に何かきっと大切なことを教えてくれた気がします。
また、当日はこんなハプニングもありました。
いつも元気いっぱいで生徒の中ではリーダー的な存在なのに、
どうしても毎回練習に遅刻してくる一人の女子がいたのですが、
その子が、とうとう本番にも遅刻して日本人の前で踊ることが出来ませんでした。
というより、僕の方が彼女を待たずに予定時刻通りに踊りを始めました。
学校に限らずどんなシーンでも、
常に予定時刻より数時間ダラダラと物事が遅れるのがザンビア。
「どうせ遅刻したってどうにかなる」
という空気が生徒の間にも教師の間にも蔓延しており、
ごく一部の時間通り来る真面目な人間が冷笑されるような風潮があります。
そんな当校の風潮を変えたくて
時間を守らせるための手立てはアレコレとしていたものの、
それでも彼女は遅刻常習犯だったうちの一人。
普段は遅刻してもケロッとしている彼女が、
この日は練習してきた踊りを見せられなかったことを知って、泣き出しました。
こうやって自分の過ちを後悔することの出来るのは、
それだけで十分に立派な子だと思います。
「次はちゃんと遅れずに来るようにしないとね」と僕は一言言って終わり。
彼女がこの先、もっと大切な場面で遅刻しないよう、
今日の事を忘れずにいて欲しいと思います。
そして、今度は8月に日本人グループを招待する予定なので、
今度こそ練習の成果を日本のみんなに見せてもらいたいと思います。
こうして僕の任地を訪れてくれる日本からの友人の一人一人が、
生徒達にとってはかけがえの無い大人のお手本です。
日本のみんなとの出会いは、日本のみんなが考えている以上に、
ザンビアの子ども達、そして教師達のの心に残ります。
2012年8月前半には、現在大学1年生&高校3年生のグループが、
ザンビアを訪れてくれる計画を立てています。
僕が日本にいた時に高校生だった教え子達や、
去年ネットを介して交流していた高校生達です。
興味があれば、どうぞ一緒にザンビアにお越しください。
また、それ以外の時でも僕の任地はいつでも日本の皆さんをお待ちしています。
今回ザンビアを訪問してくれたTさん、Zさん、Hさん、
本当にありがとうございました。
これで僕の任地を訪れてくれた日本人は、延べ14人目。
今回来てくれたメンバーは全員大学院の2年生で
修士課程の卒業旅行先としてザンビアを選んでくれました。
貴重な時間とお金を使って、記念すべき卒業旅行の行き先として
ザンビアに来てくれた事、とても嬉しかったです。
ザンビアでの滞在期間のうち、
僕の住む街マザブカには3泊もしてくれたので、
街や学校を見学するだけでなく、
広大な青空マーケットで買い物リストを渡して
「大人の初めてのお使い」をしてもらったり(笑)、
学校で異文化交流の時間を設けたり、
同僚の先生の自宅で鶏を絞めてザンビア料理を一緒に食べたりと、
ちょっとしたスタディ・ツアーのような企画を行いました。

日本のことを色々と紹介してくれました

生徒もウキウキ

ここが「初めてのお使い」ゲーム会場

買ってきた鶏は自分達で捌いてもらいました
そして、当校カオンガBasic Schoolの子ども達には、
「日本から来るお客さんにダンスを見せよう!」
と言って「日本文化クラブ」を創設し、
生徒有志を募って本番の数週間前からソーラン節を教えていました。
昨年8月に日本人グループが来てくれた際にも
ソーラン節の指導はしていたので、
今回はただ踊るだけでなく、
クオリティを高めることも生徒に求めました。
興味本位で1〜2回だけ練習に来て飽きる生徒が大半だった中、
熱心に練習して本番まで最終的に残った生徒は約10人でした。
金八先生最終回でソーラン節を踊る動画を鑑賞したり、
生徒の踊りを毎回ビデオに撮って修正個所を確認させたりしながら、
生徒中心に練習を重ねさせました。
また、前回は用意できなかった「はっぴ」と「ハチマキ」も調達して、
衣装も日本風にして本番に臨みました。
期末テストも運動会も、あらゆる学校行事の準備が
当日か前日にしか始まらないザンビアの学校で、
何かに向かって毎日(と言っても2週間ちょっとですが)練習するという経験自体、
生徒達には初めてのことだったと思います。
例えば運動会であれば、
練習しててもしてなくても、本人にヤル気があっても無くても、
どれだけ生活態度が悪くても、一番足の速い生徒を勝手に先生が代表に選ぶだけです。
「学校行事の教育的価値はその準備の過程にある」という事を他の先生に伝えたくて、
わざと目につきやすい教室を使って練習をしてきました。
本番前日には緊張の表情を浮かべていた生徒達が印象的でした。

Kaonga Basicソーラン隊

元気いっぱいの踊りです
このウェルカムダンスを観てくれた日本人ビジターの一人が、
ザンビアの子ども達のソーラン節を踊る姿に感動したと言って、
涙を流してくれました。
そんな美しい心を子ども達の前で見せてくれたことが、とても嬉しかったです。
+ + + + +
ザンビアの子ども達にも、こんな大人になって欲しい。
カンニングも不正も何でもありの中で
結果だけが評価される環境に慣れ切ってしまった子ども達に、
出来ない子どもを「ダメな奴」と切り捨てるだけで、
自分のクラスのテスト結果を改ざんすることが当たり前の腐った教師に囲まれた子ども達に、
目標に向かって努力を重ねることそれ自体の素晴らしさを知って欲しい。
スポーツや芸術に触れた際に、パフォーマンスを観て囃し立てるだけでなく、
そこに至るまでの長い道のりに想いを馳せ、
「頑張ったね」と讃える事の出来る大人になって欲しい。
そんな願いを、自分以外の外国人からも伝えてもらったようです。
彼女の涙は、ザンビアの子ども達に何かきっと大切なことを教えてくれた気がします。
また、当日はこんなハプニングもありました。
いつも元気いっぱいで生徒の中ではリーダー的な存在なのに、
どうしても毎回練習に遅刻してくる一人の女子がいたのですが、
その子が、とうとう本番にも遅刻して日本人の前で踊ることが出来ませんでした。
というより、僕の方が彼女を待たずに予定時刻通りに踊りを始めました。
学校に限らずどんなシーンでも、
常に予定時刻より数時間ダラダラと物事が遅れるのがザンビア。
「どうせ遅刻したってどうにかなる」
という空気が生徒の間にも教師の間にも蔓延しており、
ごく一部の時間通り来る真面目な人間が冷笑されるような風潮があります。
そんな当校の風潮を変えたくて
時間を守らせるための手立てはアレコレとしていたものの、
それでも彼女は遅刻常習犯だったうちの一人。
普段は遅刻してもケロッとしている彼女が、
この日は練習してきた踊りを見せられなかったことを知って、泣き出しました。
こうやって自分の過ちを後悔することの出来るのは、
それだけで十分に立派な子だと思います。
「次はちゃんと遅れずに来るようにしないとね」と僕は一言言って終わり。
彼女がこの先、もっと大切な場面で遅刻しないよう、
今日の事を忘れずにいて欲しいと思います。
そして、今度は8月に日本人グループを招待する予定なので、
今度こそ練習の成果を日本のみんなに見せてもらいたいと思います。
こうして僕の任地を訪れてくれる日本からの友人の一人一人が、
生徒達にとってはかけがえの無い大人のお手本です。
日本のみんなとの出会いは、日本のみんなが考えている以上に、
ザンビアの子ども達、そして教師達のの心に残ります。
2012年8月前半には、現在大学1年生&高校3年生のグループが、
ザンビアを訪れてくれる計画を立てています。
僕が日本にいた時に高校生だった教え子達や、
去年ネットを介して交流していた高校生達です。
興味があれば、どうぞ一緒にザンビアにお越しください。
また、それ以外の時でも僕の任地はいつでも日本の皆さんをお待ちしています。
今回ザンビアを訪問してくれたTさん、Zさん、Hさん、
本当にありがとうございました。
皆様
ご無沙汰しております。
ザンビア青年海外協力隊、桐生朋文です。
旧年中は一方ならぬ御高配にあずかり誠にありがとうございました。
私が去年ザンビアに赴任したのが1月6日、それからちょうど1年、任期の半分が過ぎました。
最初は途方も無く長いように感じていたアフリカでの2年間という生活も、
気が付けば折り返し地点を過ぎました。心身ともに大きな怪我や病気をすることも無く過ごせたのも、
様々な形で励ましを下さった皆様のお陰だと思っています。本当に、ありがとうございました。
「あっという間だった」なんて言えないような不思議な1年でしたが、
残り一年、帰国後の事も視野に入れつつ、出来ることを精一杯やっていきたいと思います。
既に年始のご挨拶にも遅いような時期となってしまいましたが、
近況報告を兼ねまして、ザンビア通信『ともふみ』第8号と、
前回ブログへのアップを失念してしまった7号ををお送りさせて頂きます。
お時間のある時にでもお読みいただければ幸いです。
新しい年が皆様にとってますます喜びの多い豊かな年でありますことを
心からお祈り申し上げます。
ご無沙汰しております。
ザンビア青年海外協力隊、桐生朋文です。
旧年中は一方ならぬ御高配にあずかり誠にありがとうございました。
私が去年ザンビアに赴任したのが1月6日、それからちょうど1年、任期の半分が過ぎました。
最初は途方も無く長いように感じていたアフリカでの2年間という生活も、
気が付けば折り返し地点を過ぎました。心身ともに大きな怪我や病気をすることも無く過ごせたのも、
様々な形で励ましを下さった皆様のお陰だと思っています。本当に、ありがとうございました。
「あっという間だった」なんて言えないような不思議な1年でしたが、
残り一年、帰国後の事も視野に入れつつ、出来ることを精一杯やっていきたいと思います。
既に年始のご挨拶にも遅いような時期となってしまいましたが、
近況報告を兼ねまして、ザンビア通信『ともふみ』第8号と、
前回ブログへのアップを失念してしまった7号ををお送りさせて頂きます。
お時間のある時にでもお読みいただければ幸いです。
新しい年が皆様にとってますます喜びの多い豊かな年でありますことを
心からお祈り申し上げます。
早いもので、ザンビアに赴任してからもうすぐ1年が経ちます。
JICA事務所での中間面談も終了し、
学校も残すところ今年最後の1週間となりました。
「あっという間だった」なんて、
とても言えないような不思議な1年でした。
何もかもが初めてで衝撃の連続で、
きっと、この1年と、これからの1年が、
帰国後の自分のライフスタイルの土台になるんだろうなって
感じられるような時間でした。
協力隊の2年間、
「最初の半年は生活に慣れるのに精いっぱいで、
次の半年でやるべきことが見え始めてくる。
最後の半年は帰国後のことで頭がいっぱい。」
と言われています。
やるべきことが見えてきたのか、
この国で自分がすべきことが分かったのか、
甚だ心許ないですが、
残りの1年、1年目の繰り返しにならぬよう、
もっと出来ることは無いのか、探し続けていきたいと思います。
* * * * *
ザンビア人と一緒に働き始めて1年。
同僚のザンビア人を変えられたかと言えば、
はっきり言って、何も変わってないように思います。
ただ、それより多少なりとも変わったのは
自分の方かもしれません。
* * * * *
3学期も残り1週間になり、
学校では学年末テストが行われています。
今回、自分は数学のテスト問題を作成し、
理科のテスト問題はザンビア人女性教員に任せてみました。
お約束通り提出期限は全く守られず、
「もう作り終わった」と1か月近く嘘を言われ続け、
テスト前日になってようやく出来上がったテスト問題を見てみると、
何と、学年末のテストのはずなのに、
1学期の内容しか問題に入って無い。
どう見ても去年の1学期のテストの丸写し…。
「せっかくだから、2学期、3学期に教えた内容も
テストに入れたらどう?」
と提案してみたところ、
これまたお約束通り、ふくれっ面をして、
舌打ちをしながら僕を無視してそのテストが使用されることになりました。
また、そうした勤務態度や、無断欠勤や授業放棄の多さを、
個別に言ってもあしらわれるだけなので、
職員会議の場で正式に校長に申し立てたところ、
「Mr.Kiryuよ、ここはアジアじゃない。
朝から昼まで働いて疲れてる教員に、
毎日学校に来て午後まで働きなさいなんて私は言えない。」
と回答されました。反論する気力も失せます。
毎日こんなことばっかり続いて、
最初の頃は、
「何でこんな当たり前のことで
子どもみたいな喧嘩をしなきゃいけないの…」
と落ち込んでいましたが、
半年も経つと、良い事か悪い事か分かりませんが、
あまり感情が動かなくなりました。
「まぁ、俺が来る前からずっとこうやって働いてたんだよな」
「あ〜あ、またご機嫌ナナメになっちゃったよ。
今度はどんな風にアプローチしてみようかなぁ。」
「この先生に働きかけても効果が薄そうだし、もっと別な先生を探すか、
目の前の生徒のためにエネルギーを使った方がいいよな。」
のように思考が働くことが多くなり、
自分と全く違う常識で動いているザンビア人を、
一歩引いて見れるようになった気がします。
これは成長と言えるのか?自分には分かりません。
ただこんな時、教師系の職種で来ていて救われたと思います。
学校現場ならまだ、
「せっかく学校に来てるのに学校が機能して無くて、生徒が可哀そうだなぁ…」
で済みますが、こんな勤務態度がもし、
命を扱うような医療現場で横行していたらと思うと、
自分は耐えられていたかどうか。
耐えられずに、自分の心もそんな風になるのを恐れて、帰国していたかもしれません。
(そして、実際に横行しているようで、
協力隊で心を病む人が最も多いのは医療系の職種だと言われています。)
* * * * *
どんなに腐った現状があっても、それを批判したって全くの無意味。
愚痴を言う時間とエネルギーがあるなら、それを「じゃあ何が出来るか」に向けること。
完璧を求めないこと。自己満足だっていい。
それと同時に「こんなもんでいいや」と決して思わないこと。
変えられる部分を一つずつ、自分の問題として改善していくこと。
そこでもしも、賛同してくれる同志が見つかったのなら、その幸福と幸運に感謝。
そんな姿勢は、
協力隊に来たからこそ身に付くものの一つかもしれません。
1年経ってそんな風に思えてきました。
日本に居た時は「より優れた場所」ばかり見すぎていました。
怖いのは、ザンビア人を一歩引いて見るようになってしまったために、
彼らに対して感動する心まで封じ込めてしまうこと。
それは絶対に避けたい。
彼らとの適切な距離感を、心地良い必要は無いから、
日本に帰ってからも持ち続けられるようなsustainableな距離感を、
残り一年で築けたらと思います。
JICA事務所での中間面談も終了し、
学校も残すところ今年最後の1週間となりました。
「あっという間だった」なんて、
とても言えないような不思議な1年でした。
何もかもが初めてで衝撃の連続で、
きっと、この1年と、これからの1年が、
帰国後の自分のライフスタイルの土台になるんだろうなって
感じられるような時間でした。
協力隊の2年間、
「最初の半年は生活に慣れるのに精いっぱいで、
次の半年でやるべきことが見え始めてくる。
最後の半年は帰国後のことで頭がいっぱい。」
と言われています。
やるべきことが見えてきたのか、
この国で自分がすべきことが分かったのか、
甚だ心許ないですが、
残りの1年、1年目の繰り返しにならぬよう、
もっと出来ることは無いのか、探し続けていきたいと思います。
* * * * *
ザンビア人と一緒に働き始めて1年。
同僚のザンビア人を変えられたかと言えば、
はっきり言って、何も変わってないように思います。
ただ、それより多少なりとも変わったのは
自分の方かもしれません。
* * * * *
3学期も残り1週間になり、
学校では学年末テストが行われています。
今回、自分は数学のテスト問題を作成し、
理科のテスト問題はザンビア人女性教員に任せてみました。
お約束通り提出期限は全く守られず、
「もう作り終わった」と1か月近く嘘を言われ続け、
テスト前日になってようやく出来上がったテスト問題を見てみると、
何と、学年末のテストのはずなのに、
1学期の内容しか問題に入って無い。
どう見ても去年の1学期のテストの丸写し…。
「せっかくだから、2学期、3学期に教えた内容も
テストに入れたらどう?」
と提案してみたところ、
これまたお約束通り、ふくれっ面をして、
舌打ちをしながら僕を無視してそのテストが使用されることになりました。
また、そうした勤務態度や、無断欠勤や授業放棄の多さを、
個別に言ってもあしらわれるだけなので、
職員会議の場で正式に校長に申し立てたところ、
「Mr.Kiryuよ、ここはアジアじゃない。
朝から昼まで働いて疲れてる教員に、
毎日学校に来て午後まで働きなさいなんて私は言えない。」
と回答されました。反論する気力も失せます。
毎日こんなことばっかり続いて、
最初の頃は、
「何でこんな当たり前のことで
子どもみたいな喧嘩をしなきゃいけないの…」
と落ち込んでいましたが、
半年も経つと、良い事か悪い事か分かりませんが、
あまり感情が動かなくなりました。
「まぁ、俺が来る前からずっとこうやって働いてたんだよな」
「あ〜あ、またご機嫌ナナメになっちゃったよ。
今度はどんな風にアプローチしてみようかなぁ。」
「この先生に働きかけても効果が薄そうだし、もっと別な先生を探すか、
目の前の生徒のためにエネルギーを使った方がいいよな。」
のように思考が働くことが多くなり、
自分と全く違う常識で動いているザンビア人を、
一歩引いて見れるようになった気がします。
これは成長と言えるのか?自分には分かりません。
ただこんな時、教師系の職種で来ていて救われたと思います。
学校現場ならまだ、
「せっかく学校に来てるのに学校が機能して無くて、生徒が可哀そうだなぁ…」
で済みますが、こんな勤務態度がもし、
命を扱うような医療現場で横行していたらと思うと、
自分は耐えられていたかどうか。
耐えられずに、自分の心もそんな風になるのを恐れて、帰国していたかもしれません。
(そして、実際に横行しているようで、
協力隊で心を病む人が最も多いのは医療系の職種だと言われています。)
* * * * *
どんなに腐った現状があっても、それを批判したって全くの無意味。
愚痴を言う時間とエネルギーがあるなら、それを「じゃあ何が出来るか」に向けること。
完璧を求めないこと。自己満足だっていい。
それと同時に「こんなもんでいいや」と決して思わないこと。
変えられる部分を一つずつ、自分の問題として改善していくこと。
そこでもしも、賛同してくれる同志が見つかったのなら、その幸福と幸運に感謝。
そんな姿勢は、
協力隊に来たからこそ身に付くものの一つかもしれません。
1年経ってそんな風に思えてきました。
日本に居た時は「より優れた場所」ばかり見すぎていました。
怖いのは、ザンビア人を一歩引いて見るようになってしまったために、
彼らに対して感動する心まで封じ込めてしまうこと。
それは絶対に避けたい。
彼らとの適切な距離感を、心地良い必要は無いから、
日本に帰ってからも持ち続けられるようなsustainableな距離感を、
残り一年で築けたらと思います。
ザンビアはアフリカの中でも各国からの支援を特に多く受けている
被援助大国の一つです。
そのため、JICA以外にも各国の援助機関やNGOの
活動内容に接することも多いです。
そんな中で、僕の学校も対象になった、
WFP(世界食糧計画)の「学校給食プログラム」について
援助された学校の中の人間から見たことを
少し紹介したいと思います。
この「学校給食プログラム」は、
子ども達の就学率の向上を目的として
学校に対して無料の給食を支援しているものです。
途上国の一部、ザンビアでも農村部の一部はそうですが、
親の学歴が低くて子どもを学校に通わせる意義を理解していなかったり、
学費を払うのが難しかったりすると、
せっかく地域に学校が出来たとしても、
家の手伝いなどのために子どもを学校に行かせないことがあります。
(実際は、「どうせ行ってもろくな授業がされない」とか、
子どもが学校に来ない理由は他にも沢山あるのですが、
それはまた記事を改めて…。)
そんな家庭に
「子どもを学校にやった方がいいですよ」
と説得したところで、行かせるメリットが理解されなければ
なかなか就学率の向上に結び付きません。
そこで「学校給食プログラム」では、学校に来るメリットとして
「給食」に着目します。
ザンビアの学校には、日本の学校に見られるような「給食」は
全寮制の学校でも無い限り見られません。
ですがお弁当を持って来ている生徒はごく少数なので、
お昼を食べずに学校に残っている生徒も多く見られます。
もし給食が無料で提供できるなら、
「給食が食べたいから学校に行く!」という気持ちが働き、
それだけで家庭にとっても生徒にとってもメリットになるため、
給食をきっかけに登校率が上がることが期待されます。
また、きちんと昼食を食べることは
栄養状態の改善、そして成績の向上にもつながります。
そんな訳で、「学校給食プログラム」は援助プログラムとしては有名で、
ポジティブな評価をされることが多いプログラムだと思っていました。
僕のカオンガ小中学校も、今年からその対象校に選ばれました。
先ず届いたのは、数トンに及ぶ大量のメイズと豆。

ここで、メイズと豆が届けられたことには感心させられました。
何故なら、メイズはザンビアの主食シマの材料だし、
豆はシマの付け合せとして最もポピュラーなおかずだからです。
ここでもしも、援助国で作られた
「栄養価の高い特別ビスケット」などが配られたらどうなるか。
援助の費用の大部分が、先進国のビスケットメーカーに渡って
援助ビジネスを助長するどころか、
本来昼食に回されるだったはずの国内穀物需要を奪うことになり、
ザンビア国内の農家を疲弊させる結果にもなります。
そうではなくて、ザンビア国内農家からメイズと豆を買い取ることで、
農業への影響も考慮している。
メイズや豆を買う予算を配布するのではなくて、現物を支給することで、
そのお金が流用されることを防いでいる。
素晴らしいと思いました。
…ただ、これで上手くいく訳ないのがザンビア。
せっかく届けられたメイズと豆は、
1ヵ月経っても廊下に山積みにされたままで、
一向に使われる気配がありません。
原因は、調理する人と調理器具が無いからです。
WFPが援助してくれるのは給食の材料までで、
それを実際に給食に調理して、生徒に供給するのは
学校の仕事です。
調理員を雇おうにも、そんな金は無いと学校は言い、
メイズを煮込むための薪を買おうとしても、そんな金は無いと言います。
そして、じゃあどうしよう?という議論を誰もしたがらない。
話を切り出せば自分が給食担当になって仕事が増えるのを嫌がっているからです。
僕から見れば、毎日先生方に校費で振る舞われているお茶とお菓子など、
無駄な支出なんていくらでもあるので、
それを削ろうと職員会議で提案したところ、
「先生は働いて疲れてるから必要だ。それを無くしたら先生が学校に来なくなる。」
と大真面目に校長が答えます…。
結局、遅刻してきた生徒が罰として周囲から薪を集めてきて一度だけ調理したきり、
大量のメイズが給食として生徒にふるまわれることはありませんでした。
生徒は頻繁に
「いつになったら給食食べれるの?」
と聞いてきて、その度に先生は根拠も無く
「来週から」
と答えているだけです。

メイズからシマを作る生徒達。遅刻の罰のはずだったのに、無料で食べれるとあってとっても嬉しそう(笑)
給食の材料だけでなく、
調理員の雇上費、調理の燃料代、食器代、
それらをマネジメントする先生への手当…、
そこまでWFPがお金を出して、また、
給食担当者の仕事内容まで事細かにWFPが
決めてあげなければ動かないのか、と思わされました。
いや、そんな「手取り足取り」してあげる必要なんて、
本来無いはずなのです。
そんな事をしてはザンビア側に実務能力が身に付かず、
援助機関が引き上げればゼロに戻るどころか、
次の援助に頼って自分達であるもので工夫しなくなる
援助体質を定着させるだけで、むしろマイナスです。
ベストは全てをザンビアが自分たちでやること。
給食を出した方がいいとザンビアが判断するなら、
その為の仕組みを作る努力をするのが筋でしょう。
援助機関の仕事は、その努力を裏方としてサポートするだけです。
(もちろん国によっては緊急援助などが必要ですが、
少なくともザンビアはそんなステージではありません。)
でも、学校の先生たちから出る言葉は、
「WFPは調理員を雇う金を出さない」
というドナーに対する文句だけ。
これからどうするかの議論が全くありません。
甘やかされて育った子どものような言い分です。
自分で支援を申請したんだろ、自分でどうにかしろ、と言いたくなります。
+ + + + +
そんな中、放置してあったメイズと豆の山が、
学校から盗まれるという事件が起こりました。
盗んだのは、何と近くの学校の生徒。
数十キロのメイズを夜中にリアカーに積み込んでいるところを
現行犯逮捕されました。
盗んだ学校の生徒は思っていたことでしょう。
「何であの学校だけただでメイズがもらえるんだよ。」
と。援助用語でいうところの「ジェラシー」です。
そしてうちの学校では、先生方が
「こんなことなら自分たちが売ってお金にしてしまえば良かった」
とブツブツ不平を言いながら、
残された大量のメイズは未だ使われる気配が全く無く数カ月が過ぎています。
このまま、ただ腐るのを待つのでしょうか。
それとも、適当に先生方のお昼ご飯になるのでしょうか。
日本の皆様、途上国にモノやお金を寄付しようと思う際には、
どうか現地の状況を熟考して慎重に…。
被援助大国の一つです。
そのため、JICA以外にも各国の援助機関やNGOの
活動内容に接することも多いです。
そんな中で、僕の学校も対象になった、
WFP(世界食糧計画)の「学校給食プログラム」について
援助された学校の中の人間から見たことを
少し紹介したいと思います。
この「学校給食プログラム」は、
子ども達の就学率の向上を目的として
学校に対して無料の給食を支援しているものです。
途上国の一部、ザンビアでも農村部の一部はそうですが、
親の学歴が低くて子どもを学校に通わせる意義を理解していなかったり、
学費を払うのが難しかったりすると、
せっかく地域に学校が出来たとしても、
家の手伝いなどのために子どもを学校に行かせないことがあります。
(実際は、「どうせ行ってもろくな授業がされない」とか、
子どもが学校に来ない理由は他にも沢山あるのですが、
それはまた記事を改めて…。)
そんな家庭に
「子どもを学校にやった方がいいですよ」
と説得したところで、行かせるメリットが理解されなければ
なかなか就学率の向上に結び付きません。
そこで「学校給食プログラム」では、学校に来るメリットとして
「給食」に着目します。
ザンビアの学校には、日本の学校に見られるような「給食」は
全寮制の学校でも無い限り見られません。
ですがお弁当を持って来ている生徒はごく少数なので、
お昼を食べずに学校に残っている生徒も多く見られます。
もし給食が無料で提供できるなら、
「給食が食べたいから学校に行く!」という気持ちが働き、
それだけで家庭にとっても生徒にとってもメリットになるため、
給食をきっかけに登校率が上がることが期待されます。
また、きちんと昼食を食べることは
栄養状態の改善、そして成績の向上にもつながります。
そんな訳で、「学校給食プログラム」は援助プログラムとしては有名で、
ポジティブな評価をされることが多いプログラムだと思っていました。
僕のカオンガ小中学校も、今年からその対象校に選ばれました。
先ず届いたのは、数トンに及ぶ大量のメイズと豆。

ここで、メイズと豆が届けられたことには感心させられました。
何故なら、メイズはザンビアの主食シマの材料だし、
豆はシマの付け合せとして最もポピュラーなおかずだからです。
ここでもしも、援助国で作られた
「栄養価の高い特別ビスケット」などが配られたらどうなるか。
援助の費用の大部分が、先進国のビスケットメーカーに渡って
援助ビジネスを助長するどころか、
本来昼食に回されるだったはずの国内穀物需要を奪うことになり、
ザンビア国内の農家を疲弊させる結果にもなります。
そうではなくて、ザンビア国内農家からメイズと豆を買い取ることで、
農業への影響も考慮している。
メイズや豆を買う予算を配布するのではなくて、現物を支給することで、
そのお金が流用されることを防いでいる。
素晴らしいと思いました。
…ただ、これで上手くいく訳ないのがザンビア。
せっかく届けられたメイズと豆は、
1ヵ月経っても廊下に山積みにされたままで、
一向に使われる気配がありません。
原因は、調理する人と調理器具が無いからです。
WFPが援助してくれるのは給食の材料までで、
それを実際に給食に調理して、生徒に供給するのは
学校の仕事です。
調理員を雇おうにも、そんな金は無いと学校は言い、
メイズを煮込むための薪を買おうとしても、そんな金は無いと言います。
そして、じゃあどうしよう?という議論を誰もしたがらない。
話を切り出せば自分が給食担当になって仕事が増えるのを嫌がっているからです。
僕から見れば、毎日先生方に校費で振る舞われているお茶とお菓子など、
無駄な支出なんていくらでもあるので、
それを削ろうと職員会議で提案したところ、
「先生は働いて疲れてるから必要だ。それを無くしたら先生が学校に来なくなる。」
と大真面目に校長が答えます…。
結局、遅刻してきた生徒が罰として周囲から薪を集めてきて一度だけ調理したきり、
大量のメイズが給食として生徒にふるまわれることはありませんでした。
生徒は頻繁に
「いつになったら給食食べれるの?」
と聞いてきて、その度に先生は根拠も無く
「来週から」
と答えているだけです。

メイズからシマを作る生徒達。遅刻の罰のはずだったのに、無料で食べれるとあってとっても嬉しそう(笑)
給食の材料だけでなく、
調理員の雇上費、調理の燃料代、食器代、
それらをマネジメントする先生への手当…、
そこまでWFPがお金を出して、また、
給食担当者の仕事内容まで事細かにWFPが
決めてあげなければ動かないのか、と思わされました。
いや、そんな「手取り足取り」してあげる必要なんて、
本来無いはずなのです。
そんな事をしてはザンビア側に実務能力が身に付かず、
援助機関が引き上げればゼロに戻るどころか、
次の援助に頼って自分達であるもので工夫しなくなる
援助体質を定着させるだけで、むしろマイナスです。
ベストは全てをザンビアが自分たちでやること。
給食を出した方がいいとザンビアが判断するなら、
その為の仕組みを作る努力をするのが筋でしょう。
援助機関の仕事は、その努力を裏方としてサポートするだけです。
(もちろん国によっては緊急援助などが必要ですが、
少なくともザンビアはそんなステージではありません。)
でも、学校の先生たちから出る言葉は、
「WFPは調理員を雇う金を出さない」
というドナーに対する文句だけ。
これからどうするかの議論が全くありません。
甘やかされて育った子どものような言い分です。
自分で支援を申請したんだろ、自分でどうにかしろ、と言いたくなります。
+ + + + +
そんな中、放置してあったメイズと豆の山が、
学校から盗まれるという事件が起こりました。
盗んだのは、何と近くの学校の生徒。
数十キロのメイズを夜中にリアカーに積み込んでいるところを
現行犯逮捕されました。
盗んだ学校の生徒は思っていたことでしょう。
「何であの学校だけただでメイズがもらえるんだよ。」
と。援助用語でいうところの「ジェラシー」です。
そしてうちの学校では、先生方が
「こんなことなら自分たちが売ってお金にしてしまえば良かった」
とブツブツ不平を言いながら、
残された大量のメイズは未だ使われる気配が全く無く数カ月が過ぎています。
このまま、ただ腐るのを待つのでしょうか。
それとも、適当に先生方のお昼ご飯になるのでしょうか。
日本の皆様、途上国にモノやお金を寄付しようと思う際には、
どうか現地の状況を熟考して慎重に…。
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たんなるおもいつき
すずとも 生徒構成の「給食委員会」つくって交代で調理させるとか?
薪などは生徒が家庭から一本持ってこさせればいいのではないかと思いつきました。
生徒会を組織しようと考えているボランティアより。
すずとも 生徒構成の「給食委員会」つくって交代で調理させるとか?
薪などは生徒が家庭から一本持ってこさせればいいのではないかと思いつきました。
生徒会を組織しようと考えているボランティアより。
協力隊活動に必要だと言われる3つの「あ」。
あせらない、あわてない、あきらめない。
様々な場面でこの言葉を噛みしめています。
何かやろうと思っても、
日本のようなペースで物事が進むことなんてありません。
誰かと話し合いをしようと言っても、
約束をすっぽかされる、時間を忘れられる。
お店で商品を注文したり、買い物を頼んだりすれば、
お金を持ち逃げされる、何ヵ月経っても注文したものは来ない。
自分一人で出来る事なんて何も無いと思い、
ザンビア人に物事を進めてもらわないといけないと思うために、
何度も何度もザンビア人に期待を裏切られると、
日本に帰る頃には人間不信になってしまうんじゃないかと
心配にさえなってしまいます。
そんな時に思い出すのが3つの「あ」。
自分で思い描くような活動や生活、人間関係が無くたって、
そんなこっちの勝手な期待を相手に求めすぎないこと。
それが「あせらない」ってことなんだと思います。
ザンビアに流れていたこの時間は、自分が来る前も、帰った後も、きっとこのまま。
今日がダメでも明日がある、
明日がダメでも明後日があるの気持ちで
「あわてない」こと。
そして、最近一番大切だなって思ってるのは
「あきらめない」って言葉。
何度裏切られたっていいから、
自分の方が「腐らない」ってことだと解釈しています。
+ + + + +
先週、学期の真っ最中にも関わらず、
女性教諭の一人が
「このクラスの担任を交代してくれないか?」
と言ってきました。
「私はクラスコントロールに失敗したから、ギブアップした。」
とへらへら言っています。
ふざけるな。
即決で断りました。
ここで引き受けたら
「桐生に頼めば面倒な仕事を引き受けてくれるぞ」
という噂が広がって職務放棄する教員が増えるのが目に見えています。
ギブアップというのは、全力で努力した上で
それでも力及ばずに、そしてさらに努力して再挑戦する
プロセスから逃げることを決断をした時にのみ使う言葉です。
本当に彼女に言ってやりたかった。
あなたは教師として最低限の事をこの子ども達にしていましたか?と。
毎日学校に遅刻し、気分が乗らなければ欠勤し、
生徒が呼びに来るまでは授業に行かない。
担任と言っても生徒の名前も知らず、出欠も取ったことが無い。
「忙しい」と言って職員室でおやつを食べて雑談しているだけ。
そして、たまに教室に行ったかと思えば、
出来ない子どもを適当に怒鳴りつけるだけ。
1年間そんな事を繰り返された結果、そのクラスは
クラス人数45人いるのにかかわらず、学校に来ているのは常時10数名という状態、
不登校率7割という状態になりました。
そんな崩壊した子ども集団を残して、
「あ〜失敗。もう面倒だから無理。あとはお願い。」
と言ってくる神経は、理解など到底出来るものではありません。
ただ、その女性教諭も開き直って全く聞く耳も持たず、
最終的には見かねた男性教諭がそのクラスの担任を交代することになりました。
この女性教諭に限った話では無く、ザンビアの多くの学校で状況は同じなので、
こういう教員に対する僕のスタンスはもう決めています。
「何もしない」です。
そのスタンスで何年間も働いてきて、そしてその風土が多数派である学校において、
外国人が小言を言ったところで良いことは一つもありません。
それよりも、圧倒的少数派であってもここで交代を申し出られるような
熱意ある男性教員のサポートを全力で行い、
学校の片隅に少しでもいいから「子どものために何が出来るか考える」雰囲気を
そうしたザンビア人と一緒に作ること、それが自分に出来る事だと思っています。
+ + + + +
ヨーロッパや日本のように、
社会の変化からの必要に迫られて「学校」という装置が作られたのと違い、
ザンビアでは先進国の真似事をして「学校」という仕組みを
形だけ維持させているだけのように感じることが多々あります。
一体この国に「学校」を作ることにどんな意味があるのだろう、
ずっと向き合い続けてきた問いであって、
多分正解は2年経っても出せない問いのだと思います。
でも、少なくとも、
この女性教員のような、責任感が無く努力する価値も知らない大人を
再生産しないことは求められていると思います。
あせらない、あわてない、あきらめない。
あせらない、あわてない、あきらめない。
様々な場面でこの言葉を噛みしめています。
何かやろうと思っても、
日本のようなペースで物事が進むことなんてありません。
誰かと話し合いをしようと言っても、
約束をすっぽかされる、時間を忘れられる。
お店で商品を注文したり、買い物を頼んだりすれば、
お金を持ち逃げされる、何ヵ月経っても注文したものは来ない。
自分一人で出来る事なんて何も無いと思い、
ザンビア人に物事を進めてもらわないといけないと思うために、
何度も何度もザンビア人に期待を裏切られると、
日本に帰る頃には人間不信になってしまうんじゃないかと
心配にさえなってしまいます。
そんな時に思い出すのが3つの「あ」。
自分で思い描くような活動や生活、人間関係が無くたって、
そんなこっちの勝手な期待を相手に求めすぎないこと。
それが「あせらない」ってことなんだと思います。
ザンビアに流れていたこの時間は、自分が来る前も、帰った後も、きっとこのまま。
今日がダメでも明日がある、
明日がダメでも明後日があるの気持ちで
「あわてない」こと。
そして、最近一番大切だなって思ってるのは
「あきらめない」って言葉。
何度裏切られたっていいから、
自分の方が「腐らない」ってことだと解釈しています。
+ + + + +
先週、学期の真っ最中にも関わらず、
女性教諭の一人が
「このクラスの担任を交代してくれないか?」
と言ってきました。
「私はクラスコントロールに失敗したから、ギブアップした。」
とへらへら言っています。
ふざけるな。
即決で断りました。
ここで引き受けたら
「桐生に頼めば面倒な仕事を引き受けてくれるぞ」
という噂が広がって職務放棄する教員が増えるのが目に見えています。
ギブアップというのは、全力で努力した上で
それでも力及ばずに、そしてさらに努力して再挑戦する
プロセスから逃げることを決断をした時にのみ使う言葉です。
本当に彼女に言ってやりたかった。
あなたは教師として最低限の事をこの子ども達にしていましたか?と。
毎日学校に遅刻し、気分が乗らなければ欠勤し、
生徒が呼びに来るまでは授業に行かない。
担任と言っても生徒の名前も知らず、出欠も取ったことが無い。
「忙しい」と言って職員室でおやつを食べて雑談しているだけ。
そして、たまに教室に行ったかと思えば、
出来ない子どもを適当に怒鳴りつけるだけ。
1年間そんな事を繰り返された結果、そのクラスは
クラス人数45人いるのにかかわらず、学校に来ているのは常時10数名という状態、
不登校率7割という状態になりました。
そんな崩壊した子ども集団を残して、
「あ〜失敗。もう面倒だから無理。あとはお願い。」
と言ってくる神経は、理解など到底出来るものではありません。
ただ、その女性教諭も開き直って全く聞く耳も持たず、
最終的には見かねた男性教諭がそのクラスの担任を交代することになりました。
この女性教諭に限った話では無く、ザンビアの多くの学校で状況は同じなので、
こういう教員に対する僕のスタンスはもう決めています。
「何もしない」です。
そのスタンスで何年間も働いてきて、そしてその風土が多数派である学校において、
外国人が小言を言ったところで良いことは一つもありません。
それよりも、圧倒的少数派であってもここで交代を申し出られるような
熱意ある男性教員のサポートを全力で行い、
学校の片隅に少しでもいいから「子どものために何が出来るか考える」雰囲気を
そうしたザンビア人と一緒に作ること、それが自分に出来る事だと思っています。
+ + + + +
ヨーロッパや日本のように、
社会の変化からの必要に迫られて「学校」という装置が作られたのと違い、
ザンビアでは先進国の真似事をして「学校」という仕組みを
形だけ維持させているだけのように感じることが多々あります。
一体この国に「学校」を作ることにどんな意味があるのだろう、
ずっと向き合い続けてきた問いであって、
多分正解は2年経っても出せない問いのだと思います。
でも、少なくとも、
この女性教員のような、責任感が無く努力する価値も知らない大人を
再生産しないことは求められていると思います。
あせらない、あわてない、あきらめない。





