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先週まで約2週間、私用で日本へと一時帰国していました。
ザンビアに帰ってくると、出国前は冷たく乾いていた空気が、
朝晩でも温かいくらいになっており、
自分が居ない間にも季節は移り変わっていたことを肌で感じました。

たった2週間離れて頂けなのに、
ザンビアの景色が、空気が、音が、匂いが、
まるで別世界のように感じられました。

地平線を染め上げる大きな夕日も、
「アンクル・キリウー!」と言って毎日駆け寄って来てくれる近所の子ども達も、
たまにイライラさせられるけど愉快な同僚達も、
いつもそこにあったはずなのに、
とても愛おしく思われました。

本帰国まであと4ヶ月。
残りの時間で何をザンビアに、そして自分の中に残せるのか分かりませんが、
自分を支えてくれている全ての人達に感謝して、
毎日を大切に生きていきたいと思います。

明後日から、いよいよ隊員生活最後のターム!

+ + + + +

1年7ヶ月ぶりに帰国した日本について感じたことも、
書き留めておきたいと思います。

感じたことは沢山ありましたが、一番考えさせられたのは、
「小さな幸せとの距離感」でした。
ザンビアに居る時は、例えば水が昼間に出たというだけで嬉しくなったり、
飼っている鶏が卵を産んだから生卵が食べられるとはしゃいだり、
日常の些細な出来事が、全て大きな幸せに思えました。
それが日本にいると、何もかもが手の届く範囲にあるために、
感動の閾値がどんどん高くなってしまうように感じました。

日本にある沢山の小さな幸せに対する感動を忘れないためには、
どんな暮らし方をしていけばいいのだろう。
2010年冬に色川に行った時にも感じたことを、一層強烈に感じました。
協力隊の2年間は、国際協力やボランティアのことだけでなく、
その後の生き方全部を考えさせられるような時間だったように思います。
まだ結論は出ていませんが、少なくとも、
東京にはもう住みたくない、と思ってしまいました。
学生の時には「絶対東京!」と言っていたのに、人の考えは変わるものです。
どこで教員をやるにしても、小さな幸せに感動する余裕を忘れず、
日本の良さに意識的に子ども達にも伝えていきたいと思うようになりました。

以下、一時帰国中に感じたことの箇条書きです。

・人と会話しないといけない機会が少なすぎる。成田空港に到着してから新潟に帰るまで、誰とも会話せずに行けてしまう。ボタンを押すだけで、新幹線の切符が手に入り、お釣りが勝手に出てくる。まるでSFの世界。あまりに物事が自動化されすぎていて、スムーズに運びすぎて、トラブルに対処する力が身に付かなくなっちゃうんじゃないの?

・世界共通語にもなっている日本人の「おもてなし」には感動しっぱなし。自分達だけのために走ってバスを追いかけてくれたホテルのお姉さん、擦り傷を負った自分達に消毒薬やガーゼをくれて心配してくれて「お代は結構ですよ」と言ってくれる温泉のお兄さん。この優しさを、日本人はもっと誇りにしていいと思う。そして、それを当たり前とでも言うかのように横柄な態度を取るおじさん。一度アフリカで働いてみろと言いたくなる。

・食べ物が美味しすぎる。食文化が豊かすぎる。世界中の食べ物が手に入りすぎる。2週間の滞在期間中、一食一食、一口一口にずっと感動しっぱなしだった。日本到着日に入ったラーメン屋さんでは、あまりの美味しさに胸がいっぱいになって、ラーメン一杯食べきるのに1時間くらいかかった。お寿司、納豆、餃子と生ビール、焼酎、熱燗、蛸わさ、エイヒレ、豚しゃぶポン酢、しめさば、明日葉の天ぷら、温泉卵、梅干し、味付け海苔、春菊の味噌汁、漬物、サバの味噌煮、コンビニプリン、鯵のなめろう、鮭の塩焼き、カツオのたたき、ひじき、しらす、揚げ出し豆腐、釜飯、カキフライ…。一回だけ入った「居酒屋」、涙が出そうなくらいに美味しかった。

・倒木に生す苔、山間を流れる清流、そんな景色に足を止められファインダーを向ける自分の原風景は、やっぱり日本の山なのだと再確認した。

・通勤ラッシュの時間帯に池袋駅を通った時、まるで一つの生き物みたいに大量の人間が同じ方向に黙って歩いているのを見て気持ち悪くなり、吐き気を感じてその場に座り込みそうになってしまった。つい4年前までは自分がこの群れの一部として通勤していたのに。帰国した隊員の中には、沢山の人間に会うのが怖いと病院にかかってしまう隊員もいると聞いていたが、あり得ると感じた。

・夜の東京の不健全さ。何で25時の街の中にこんな風に人が歩いていて、煌々と灯りが点いていて、客引きがあって、電車が満員なの?こうして、本来活動しなくたっていい時間にまで人間を活動させるように書きたてて、誘惑するような産業によって成り立つ経済なんておかしい。自由経済によって人々の選択肢が増えている訳じゃなくて、消費を無理やり掻き立てられているだけだよ。
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【2012/09/01 23:30】 | 未分類
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先日のブログで、僕の学校がWFPの「学校給食プログラム」の対象に選ばれ、
給食の材料として大量のミルミルと豆が届けられたものの、
うまく使われずに倉庫に眠っているという話を書きましたが、
先日、ミルミルのその後を見れる出来事がありました。
http://www.wfp.or.jp/activities/sfp.html

関係者にとっては悲しい出来事でしたが、
「援助」の現場について再度考えてみたいと思います。

 + + + + +

先日、僕の学校で学校で運動会が行われました。
日本の学校で運動会と言えば、
クラス一丸となって応援や種目の練習に長い時間を充てる
学校行事の一大イベントですが、
ザンビアの学校で前もっての練習など出来るはずも無く、
前日になって突然「明日は運動会だ」と言われました。

100m走や1500m走など陸上競技大会のような種目が行われたのですが、
全員が参加する訳では無く、
参加者は足の早そうな生徒の中から教員が勝手に選びます。

「運動会だって、目標に向かって集団で準備や練習を重ねる
立派な教育活動の一つになるのになぁ…。」

と日本で教育を受けてきた自分から見ると疑問に思ってしまいますが、
こちらの先生にそんな感覚は全く無いらしく、
生徒も先生も、数少ない娯楽の一つとして行事を楽しんでいるようでした。

1種目終わるたびに、自分のクラスの生徒が優勝すれば、
クラス総出でコースに飛び出してきて大騒ぎです。
長距離走に至っては、2位以下の生徒は
トップがゴールした時点で走るのをやめてしまいます。
順位を付けている先生ですら、自分のクラスの生徒がゴールすると
記録を付けるのを放り投げて一緒に大騒ぎしているのですから(笑)

DSC08522.jpg
グラウンドを走る生徒。走るフォームの美しさはさすが!

それはそれでザンビアの「運動会」の在り方なので
良いかと思っていたものの、
ビックリしたのは前日の運動会準備の時。

普段は使っていない学校近くの広場を
運動会の日はグラウンドとして使用するため、
生徒みんなで草刈りをしてコースを作りました。

IMG_0052.jpg
グラウンドの準備をする生徒。この白線、何を使って描いていると思いますか?

ひとしきり草刈りが終わって、
コースを作るために白線を引こうとした時に、
白線を引くための石灰が無いことが判明。

てっきりまた生徒に買いに行かせるのかと思っていたら、
「そう言えば倉庫にミルミル(※)が余っていたね。
 あれを持って来て線を引きなさい。」
と信じられない事を先生が言い出しました。

(※)ミルミル:トウモロコシを粉にした、シマの原料。ザンビアの主食。

生徒は勿論、他の先生も全く疑問を呈する様子も無く、
WFPから送られてきたミルミルを持って来て、
どんどんと地面に撒いていきます。

石灰なんて、ザンビアでも全然高価なものではなく、
街に行けば50kgあたり数百円で売っています。
その程度のお金が学校に無い訳でもありません。
でも、買いに行くのが面倒くさい。
しかも使い道に困っているミルミルが学校にはある。
じゃあそれを使ってしまおう。
そんな考えが当たり前のように通ってしまうのです。

最終的に、約400kgのミルミルが、
たった一日の運動会のために地面に撒き捨てられました。
数世帯の1年間分に相当する量の食糧です。

運動会当日、何事も無いかのように
食べ物の上を走りながら大騒ぎする子ども達と教員を見て、
とても悲しい気持ちになりました。

さすがに今回の件は黙っている訳にいかず、
WFPで働く隊員に通報したところ、
当校への食糧援助を見直す旨の連絡が来ました。

 + + + + +

日本で暮らしていると、どこに行っても
「アフリカの飢えた子ども達」
の情報が伝えられ、
彼らに寄付金を与えるためのキャンペーンが
半ばファッションのように行われています。

出された食べ物を残す子どもに対しては、
「世界には食べたくても食べられない子もいるんだから、
 残さずきちんと食べなさい。」
と教えられることもごく一般的です。

そして、
「食べたくても食べられない飢えた子ども達」が
沢山いるはずのアフリカの学校現場では、
先進国から送られてきた食料が、
運動会の白線の代わりに使われ、
子ども達はそれを踏み潰しながら楽しく遊んでいます。
こうした実態のどれほどが、援助する側の先進国に伝えられているでしょうか。

学校給食プログラムや、その他の国連援助を
否定したい訳では全くありません。
食糧難に苦しんでいる地域は実際に存在するし、
(それがザンビアでは無いにしても)
うまくいっている事例も沢山あります。

でも、こうして援助する側とされる側の思いが
すれ違ってしまうケースも山ほどあります。
特に、大きな金額を扱う援助機関では。
だからと言ってそうした「失敗事例」が
日本で伝えられることは殆どありません。
そんなことをしたって、寄付金が減って
援助機関は自分達の首を絞めることになるだけだからです。

募金や援助をしようという
善意の心はとても大切なものですが、
せっかくの善意があるなら、
お金を出して満足するのではなく、
それが本当に相手のためになっているのか、
一歩踏み込んで考えてみるのも大切ではないでしょうか。

【2012/06/11 16:12】 |   〃  :悩、迷
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きりん
WFPに通報する前に、あなたは何をしましたか?

Re: タイトルなし
桐生朋文
「きりん」さま。コメントありがとうございます。
大変申し訳ございませんが、ニックネームからは心当たりがないのですが、どなたでしょうか…?

面識の無い方とネット上で意見交換をするのは、
意図の食い違いがあって混乱を招く可能性が高いため、
宜しければ簡単な自己紹介と共に
個人あてにメールを頂けますでしょうか?
E-mailもしくはSkypeにてやりとりさせて頂ければと思います。
よろしくお願いします。

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先週、再び日本からの知人グループがザンビアを訪れてくれました。

これで僕の任地を訪れてくれた日本人は、延べ14人目。
今回来てくれたメンバーは全員大学院の2年生で
修士課程の卒業旅行先としてザンビアを選んでくれました。
貴重な時間とお金を使って、記念すべき卒業旅行の行き先として
ザンビアに来てくれた事、とても嬉しかったです。

ザンビアでの滞在期間のうち、
僕の住む街マザブカには3泊もしてくれたので、
街や学校を見学するだけでなく、
広大な青空マーケットで買い物リストを渡して
「大人の初めてのお使い」をしてもらったり(笑)、
学校で異文化交流の時間を設けたり、
同僚の先生の自宅で鶏を絞めてザンビア料理を一緒に食べたりと、
ちょっとしたスタディ・ツアーのような企画を行いました。

DSC08923.jpg
日本のことを色々と紹介してくれました

DSC08930.jpg
生徒もウキウキ

IMG_7474.jpg
ここが「初めてのお使い」ゲーム会場

IMG_0061.jpg
買ってきた鶏は自分達で捌いてもらいました

そして、当校カオンガBasic Schoolの子ども達には、
「日本から来るお客さんにダンスを見せよう!」
と言って「日本文化クラブ」を創設し、
生徒有志を募って本番の数週間前からソーラン節を教えていました。

昨年8月に日本人グループが来てくれた際にも
ソーラン節の指導はしていたので、
今回はただ踊るだけでなく、
クオリティを高めることも生徒に求めました。

興味本位で1~2回だけ練習に来て飽きる生徒が大半だった中、
熱心に練習して本番まで最終的に残った生徒は約10人でした。

金八先生最終回でソーラン節を踊る動画を鑑賞したり、
生徒の踊りを毎回ビデオに撮って修正個所を確認させたりしながら、
生徒中心に練習を重ねさせました。
また、前回は用意できなかった「はっぴ」と「ハチマキ」も調達して、
衣装も日本風にして本番に臨みました。

期末テストも運動会も、あらゆる学校行事の準備が
当日か前日にしか始まらないザンビアの学校で、
何かに向かって毎日(と言っても2週間ちょっとですが)練習するという経験自体、
生徒達には初めてのことだったと思います。

例えば運動会であれば、
練習しててもしてなくても、本人にヤル気があっても無くても、
どれだけ生活態度が悪くても、一番足の速い生徒を勝手に先生が代表に選ぶだけです。
「学校行事の教育的価値はその準備の過程にある」という事を他の先生に伝えたくて、
わざと目につきやすい教室を使って練習をしてきました。
本番前日には緊張の表情を浮かべていた生徒達が印象的でした。

DSC08945.jpg
Kaonga Basicソーラン隊

DSC08950.jpg
元気いっぱいの踊りです

このウェルカムダンスを観てくれた日本人ビジターの一人が、
ザンビアの子ども達のソーラン節を踊る姿に感動したと言って、
涙を流してくれました。
そんな美しい心を子ども達の前で見せてくれたことが、とても嬉しかったです。

 + + + + +

ザンビアの子ども達にも、こんな大人になって欲しい。
カンニングも不正も何でもありの中で
結果だけが評価される環境に慣れ切ってしまった子ども達に、
出来ない子どもを「ダメな奴」と切り捨てるだけで、
自分のクラスのテスト結果を改ざんすることが当たり前の腐った教師に囲まれた子ども達に、
目標に向かって努力を重ねることそれ自体の素晴らしさを知って欲しい。
スポーツや芸術に触れた際に、パフォーマンスを観て囃し立てるだけでなく、
そこに至るまでの長い道のりに想いを馳せ、
「頑張ったね」と讃える事の出来る大人になって欲しい。
そんな願いを、自分以外の外国人からも伝えてもらったようです。

彼女の涙は、ザンビアの子ども達に何かきっと大切なことを教えてくれた気がします。


また、当日はこんなハプニングもありました。
いつも元気いっぱいで生徒の中ではリーダー的な存在なのに、
どうしても毎回練習に遅刻してくる一人の女子がいたのですが、
その子が、とうとう本番にも遅刻して日本人の前で踊ることが出来ませんでした。
というより、僕の方が彼女を待たずに予定時刻通りに踊りを始めました。

学校に限らずどんなシーンでも、
常に予定時刻より数時間ダラダラと物事が遅れるのがザンビア。
「どうせ遅刻したってどうにかなる」
という空気が生徒の間にも教師の間にも蔓延しており、
ごく一部の時間通り来る真面目な人間が冷笑されるような風潮があります。

そんな当校の風潮を変えたくて
時間を守らせるための手立てはアレコレとしていたものの、
それでも彼女は遅刻常習犯だったうちの一人。

普段は遅刻してもケロッとしている彼女が、
この日は練習してきた踊りを見せられなかったことを知って、泣き出しました。
こうやって自分の過ちを後悔することの出来るのは、
それだけで十分に立派な子だと思います。
「次はちゃんと遅れずに来るようにしないとね」と僕は一言言って終わり。
彼女がこの先、もっと大切な場面で遅刻しないよう、
今日の事を忘れずにいて欲しいと思います。
そして、今度は8月に日本人グループを招待する予定なので、
今度こそ練習の成果を日本のみんなに見せてもらいたいと思います。


こうして僕の任地を訪れてくれる日本からの友人の一人一人が、
生徒達にとってはかけがえの無い大人のお手本です。
日本のみんなとの出会いは、日本のみんなが考えている以上に、
ザンビアの子ども達、そして教師達のの心に残ります。

2012年8月前半には、現在大学1年生&高校3年生のグループが、
ザンビアを訪れてくれる計画を立てています。
僕が日本にいた時に高校生だった教え子達や、
去年ネットを介して交流していた高校生達です。

興味があれば、どうぞ一緒にザンビアにお越しください。
また、それ以外の時でも僕の任地はいつでも日本の皆さんをお待ちしています。

今回ザンビアを訪問してくれたTさん、Zさん、Hさん、
本当にありがとうございました。

【2012/03/05 23:24】 |   〃  :嬉、喜
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しまもとこ
>自分のクラスのテスト結果を改ざんすることが当たり前

すごいですね・・・。そんな環境で頑張ってる桐生くんを尊敬します。私だったら、とっくに心が折れてるなぁ・・・。


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皆様

ご無沙汰しております。
ザンビア青年海外協力隊、桐生朋文です。
旧年中は一方ならぬ御高配にあずかり誠にありがとうございました。

私が去年ザンビアに赴任したのが1月6日、それからちょうど1年、任期の半分が過ぎました。
最初は途方も無く長いように感じていたアフリカでの2年間という生活も、
気が付けば折り返し地点を過ぎました。心身ともに大きな怪我や病気をすることも無く過ごせたのも、
様々な形で励ましを下さった皆様のお陰だと思っています。本当に、ありがとうございました。

「あっという間だった」なんて言えないような不思議な1年でしたが、
残り一年、帰国後の事も視野に入れつつ、出来ることを精一杯やっていきたいと思います。

既に年始のご挨拶にも遅いような時期となってしまいましたが、
近況報告を兼ねまして、ザンビア通信『ともふみ』第8号と、
前回ブログへのアップを失念してしまった7号ををお送りさせて頂きます。
お時間のある時にでもお読みいただければ幸いです。

新しい年が皆様にとってますます喜びの多い豊かな年でありますことを
心からお祈り申し上げます。






【2012/01/07 15:37】 | ニュースレター
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早いもので、ザンビアに赴任してからもうすぐ1年が経ちます。
JICA事務所での中間面談も終了し、
学校も残すところ今年最後の1週間となりました。

「あっという間だった」なんて、
とても言えないような不思議な1年でした。
何もかもが初めてで衝撃の連続で、
きっと、この1年と、これからの1年が、
帰国後の自分のライフスタイルの土台になるんだろうなって
感じられるような時間でした。

協力隊の2年間、
「最初の半年は生活に慣れるのに精いっぱいで、
 次の半年でやるべきことが見え始めてくる。
 最後の半年は帰国後のことで頭がいっぱい。」
と言われています。

やるべきことが見えてきたのか、
この国で自分がすべきことが分かったのか、
甚だ心許ないですが、
残りの1年、1年目の繰り返しにならぬよう、
もっと出来ることは無いのか、探し続けていきたいと思います。

 * * * * *

ザンビア人と一緒に働き始めて1年。
同僚のザンビア人を変えられたかと言えば、
はっきり言って、何も変わってないように思います。
ただ、それより多少なりとも変わったのは
自分の方かもしれません。

 * * * * *

3学期も残り1週間になり、
学校では学年末テストが行われています。

今回、自分は数学のテスト問題を作成し、
理科のテスト問題はザンビア人女性教員に任せてみました。

お約束通り提出期限は全く守られず、
「もう作り終わった」と1か月近く嘘を言われ続け、
テスト前日になってようやく出来上がったテスト問題を見てみると、
何と、学年末のテストのはずなのに、
1学期の内容しか問題に入って無い。
どう見ても去年の1学期のテストの丸写し…。

「せっかくだから、2学期、3学期に教えた内容も
 テストに入れたらどう?」
と提案してみたところ、
これまたお約束通り、ふくれっ面をして、
舌打ちをしながら僕を無視してそのテストが使用されることになりました。

また、そうした勤務態度や、無断欠勤や授業放棄の多さを、
個別に言ってもあしらわれるだけなので、
職員会議の場で正式に校長に申し立てたところ、
「Mr.Kiryuよ、ここはアジアじゃない。
 朝から昼まで働いて疲れてる教員に、
 毎日学校に来て午後まで働きなさいなんて私は言えない。」
と回答されました。反論する気力も失せます。

毎日こんなことばっかり続いて、
最初の頃は、
「何でこんな当たり前のことで
 子どもみたいな喧嘩をしなきゃいけないの…」
と落ち込んでいましたが、
半年も経つと、良い事か悪い事か分かりませんが、
あまり感情が動かなくなりました。

「まぁ、俺が来る前からずっとこうやって働いてたんだよな」
「あ~あ、またご機嫌ナナメになっちゃったよ。
 今度はどんな風にアプローチしてみようかなぁ。」
「この先生に働きかけても効果が薄そうだし、もっと別な先生を探すか、
 目の前の生徒のためにエネルギーを使った方がいいよな。」

のように思考が働くことが多くなり、
自分と全く違う常識で動いているザンビア人を、
一歩引いて見れるようになった気がします。
これは成長と言えるのか?自分には分かりません。

ただこんな時、教師系の職種で来ていて救われたと思います。
学校現場ならまだ、
「せっかく学校に来てるのに学校が機能して無くて、生徒が可哀そうだなぁ…」
で済みますが、こんな勤務態度がもし、
命を扱うような医療現場で横行していたらと思うと、
自分は耐えられていたかどうか。
耐えられずに、自分の心もそんな風になるのを恐れて、帰国していたかもしれません。
(そして、実際に横行しているようで、
 協力隊で心を病む人が最も多いのは医療系の職種だと言われています。)

 * * * * *

どんなに腐った現状があっても、それを批判したって全くの無意味。
愚痴を言う時間とエネルギーがあるなら、それを「じゃあ何が出来るか」に向けること。
完璧を求めないこと。自己満足だっていい。
それと同時に「こんなもんでいいや」と決して思わないこと。
変えられる部分を一つずつ、自分の問題として改善していくこと。
そこでもしも、賛同してくれる同志が見つかったのなら、その幸福と幸運に感謝。

そんな姿勢は、
協力隊に来たからこそ身に付くものの一つかもしれません。
1年経ってそんな風に思えてきました。
日本に居た時は「より優れた場所」ばかり見すぎていました。


怖いのは、ザンビア人を一歩引いて見るようになってしまったために、
彼らに対して感動する心まで封じ込めてしまうこと。
それは絶対に避けたい。

彼らとの適切な距離感を、心地良い必要は無いから、
日本に帰ってからも持ち続けられるようなsustainableな距離感を、
残り一年で築けたらと思います。

【2011/11/30 22:44】 |   〃  :悩、迷
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