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先日の大統領選挙に関連して書いた当ブログの記事を、
日本の某高校で勤務されてる社会科の先生が、
ご自身のブログ内で紹介して下さいました。
こちらのブログです。⇒「アフリカ留魂録」

ESDや開発教育において様々な実践を行っていらっしゃるベテランの先生です。
そこでこんな若造の戯言をご紹介頂き…、本当に恐縮です。

自分が高校生の時にこんな先生に出会っていたかった。
心からそう思います。

 + + + + +

先生はブログの中で、「桐生先生」と紹介して下さっていますが、
自分が「先生」と呼ばれることには、
正直言ってまだふわふわした感じを覚えます。

少し、昔のことについて書きたいと思います。

高校生の頃は、自分が将来「先生」になろうだなんて
これっぽっちも考えていませんでした。

免許くらいは取っておけと言う両親からの勧めも無視して
やりたいことが定まらずに5年間かけて大学を卒業した後で、
当時は「ここしか無い!」というくらいに希望して入った会社も辞めて、
再び大学に入学し直して教員免許を取り、
そうして今、アフリカで教壇に立っています。

それでも、会社を辞める時には一片の迷いも無かったし、
犠牲にする他の全ての事を差し置いても、
「世界」を見に行きたいという情動を
2年前の自分は抑えることが出来ませんでした。

こんな事を言うと「自分探し」に奔走する
イマドキの若者らしいと呆れられるかもしれませんが、
国際協力や教育に、高校生の頃は興味が無かった訳ではありません。
ただ、その興味を自覚していなかったのだと思います。
自分が真にやりがいを感じる瞬間や感性と、
その実現手段として教育という仕事を結び付けることに、
気付かせてくれる機会と出会うことが無かっただけなのだと思います。

その機会が自分の中で十分に満ちるのに、
他の「先生」方よりは少し時間がかかってしまい、
幾らばかりか回り道をしてしまったのだと、言い訳をしています。

もしも自分が17歳の時に、
自分で自分の生きる道を初めて選択する高校生という時期に、
「世界」の広さを教えてくれる教師に出会えていたら、
働くことがどれだけ彩り豊かなものか
嬉々として語ってくれる大人に出会えていたら、
もう少し回り道をせずに、
アフリカに来ていたのかもしれません。

だから僕は、
「こんな先生に出会っていたかった。」
と言いたいのです。

でも、今更自分の過去を振り返ってもしょうがありません。
これから大人になる高校生の人生が少しでも幸せなものになるよう、
こうして紹介して下さった先生や両親のような立派な教育者に、
少しでも近づけるよう、日々研鑽を重ねること以外に
今自分に出来ることは無いと思っています。

 + + + + + 

最近、日本の写真を見ると、
「懐かしさ」ではなく「憧れ」を感じるようになりました。
ザンビア人の感覚に近づいてきたのかもしれません。

あれほど自分が見たいと望んだ「世界」とは
一体何のことだったのだろうと思うことがあります。

日本に居た時は「未知の世界」であったアフリカでも、
子ども達は毎日学校に行き、友達と遊び、
おとな達は毎日働き、酒を飲み、時間が過ぎています。
ここが世界から切り離されている訳でも何でもなく、
ザンビアにはザンビアの普通の時間が確実に流れており、
彼らにとって、いつか見てみたいと思っている「世界」とは、
「夢のような」生活を謳歌している日本なのです。

そんなライフスタイルの選択肢を
ザンビア人が手に入れたいと望むのなら、
僕はそのために出来ることをするためにここにいます。

逆に、「途上国」の日常を見たいと望む若者のために、
これまでスタディツアーの企画等をしてきました。

でも、本当の「世界」っていうのは、
貧しい国があるとか豊かな国があるとかじゃなくて、
日本もザンビアも含めた
無数の「普通」が存在することを自覚すること、
そこに住む普通の人々の顔を思い浮かべ、
彼らに対応する複数種の時間軸を自分の中に持つこと、
そして、異なる「普通」を行き来できる
「どこでもドア」を心の中に持つこと、
なんじゃないかなって思っています。

無数の「普通」は国を超えた場所だけでなく、
日本の中にも沢山存在していると思います。
自分の考えている「普通」だけが、「普通」じゃない。
そう信じられることは、
日本で過ごす上でも様々な場面で
心に余裕をもたらしてくれると感じています。

みんな違って当たり前。
そんな視点を伝えられる教員になっていきたいです。
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【2011/09/28 23:22】 | 日々の風景
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回り道も全部
Akihisa
回り道も全部、血肉になっているのでしょう?
そんな遠回りの蓄積こそが、自分の財産でしょう?
日本の高校生に、世界って仕事って人生って面白いんだぜって自信を持って伝えている、そんな姿を早くみたいっすww

コメントありがと☆
桐生
回り道を後悔してる訳じゃ全然無いよ~。
むしろ、キミと一緒に働いてた会社が自分の唯一の民間金融機関経験だったことは、俺の誇りです。
日本に帰ってから、高校生に自信を持って大人になることにオモシロさを伝えられるよう、頑張ります。

こんにちは
Asa
はじめまして!
たまたま、本当にたまたまBlogを拝見して、
すごく共感してしまいコメントさせていただきました。
実は23-2のJOCVです。笑

まだ活動はじまったばっかりですが、
ちょっと軸がぶれて、こんな回り道して、
私何をしているんだろうって、思ってしまっていたので、
なんだかとても勇気付けられました。

きっと無駄なことなんて何もなくて、
ここ任地で送っている何でもない日々も宝物なんだなって、
改めて思うことができました。

また、たまBlog拝見させていただきますね!


Asako TAOKA

承認待ちコメント
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ザンビアでは、5年に一度大統領選挙が行われます。
本日9月20日はまさにその投票日で、
学校などはお休みです。
突発的な暴動に備えて隊員は全員自宅待機命令が出ています。

ザンビアはアフリカでも非常に平和とされる国ですが、
それでも選挙前は首都ルサカを中心に
政党間の衝突やデモ活動が頻発してようです。

ですが、僕の任地マザブカは平穏そのもの。
誰に聞いても
「ザンビアは平和な国だ。そんな心配をするな。」
と言われるだけです。
投票日の今日も、いつもと変わらぬ日常が続いているように思います。

IMG_0729.jpg
マザブカの町の選挙ポスター。青い方が与党のMMDで、赤い方が南部州で優勢なUPND。構図が分かりやすい。

 + + + + +

休日には、市場に買い物に出かけたり
教材研究したりすることが多いのですが、
今日は外出不可なので引きこもって
活動の準備や教材作成をしていました。

ちょうど昨日、理科授業の様子をヒアリングしに行った高校の先生から、
「分子の構造が、生徒にとって理解が難しい。」
と相談を受けていたので、
分子模型の作成にチャレンジです。

日本だったら、カラーの資料集にCGに、
視覚的な教材が沢山ありますが、
高校と言ってもやはり教科書を持っている生徒は少なく、
先生の黒板による説明だけなので、
実際に見れる模型があったら便利だろうと思い、
下記サイトを参考にさせて頂き、作ってみたのがこちら。
http://www.venus.sannet.ne.jp/eyoshida/index.htm

IMG_0740.jpg
街で売ってる厚紙で作ったエタンの模型。

上記の模型、糊も一切使わずに作れるようになってました。
こんな模型を開発して公開してくださってる先生がいるなんて、
やっぱり日本の理科の先生は凄い…。感動です。

ただ、ザンビアでは難しいかなと断念しました。
というのも、日本人の僕が作っても、
相当の細かい作業を要求されるため、
ザンビア人には面倒くさがられて普及しないだろうなぁ、と思ったためです。
(以前、子どもに折り紙をやらせてみたら
 「半分に折る」だけの時点で四苦八苦してました(^^;))

という訳で、折り紙で作れないかと
簡易版を作ってみたのがこちら。

IMG_0741.jpg
折り紙で作った、同じくエタンの模型。

正四面体を折ってくっ付けただけなので、
2重結合や3重結合を再現できない、
くっ付ける時にノリが必要、等の難点はありますが、
上記よりは大分簡単に作れるので、
どんな反応が返ってくるか、
来週作り方を紹介してみようと思います。

ザンビアで紹介できる理科実験は無いかと
日本の書籍で調べて自分で色々試しているのですが、
半分以上はボツになります。

でも、「これなら出来るかも!」というものを見つけて、
ザンビアの教室で使われているシーンを想像するとワクワクします♪
さて、次はどんな実験を試してみようか。

【2011/09/20 19:20】 | 日々の風景
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匿名
今日のマザブカはどうですか?もし何か起きるとしたら投票結果がでてから、なので、2、3日は気をつけるにこしたことはないですよ。

ところで赤の政党はPFじゃなくてUPNDです。
PFは第一野党だけれども、南部はPFよりもUPNDの方が力があります。党首はハカインダ。(Hakainde Hichilema、HHとも言われる。)
PFのカラーは緑です。
でも色があせちゃって青に見えるときもあるけれども。

私はマザブカから強制避難させられて現在ルサカです。日曜日か月曜日に帰宅予定。
そのうちまたお茶でもしましょう。


桐生
コメントありがとうございます。
PFとUPNDを間違えるとはマザブカ在住として恥ずかしすぎる…。直しておきました(^^;

ルサカの方が危ないようにも思うのですが、そちらの様子はいかがですか?またマザブカで♪

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ザンビアに来る前、食事については
「ザンビアではじゃが芋とトマトしか野菜が手に入らない。」
という根も葉もない噂を聞いていました。

ところが、実際にはそんな事全く無くて、
じゃが芋、トマト、キャベツ、白菜、ホウレンソウ、
人参、タマネギ、オクラ、等々、かなりの野菜が手に入ります。

ただ、贅沢を言えば、茄子、大根、長葱、春菊など
日本らしい野菜が食べたくなることもあります…。

そこで、せっかく日本から持ってきたor送ってもらった
野菜の種たちもあることなので、
自給できるものは可能な限り自給に挑戦してます。

DSC08676.jpg
日本から送って頂いた種の数々。

DSC08652.jpg
自宅の庭。色々な野菜を植えています。

DSC08659.jpg
庭にはバナナの木もあります。

DSC08651.jpg
パパイヤの木もあるので食べ放題。

当初は野菜からスタートしてたのですが、
「肉」と「卵」も自分で作ろうと思い、
ヒヨコも飼い始めました。

DSC08643.jpg
同居人のヒヨコ夫婦。

DSC08641.jpg
ブロックで作った鳥小屋。

今まで、鶏を絞めたことはあっても、それは別の誰かが育ててくれた鶏で、
自分でちゃんとヒヨコから育てた鶏を食べたことはありません。
命を戴く営みは、こんな機会にちゃんと経験しておこうと思います。

食事は毎日、3食全部自炊。
野菜や果物は自分の庭で採って、残り物はヒヨコの餌。
朝は5時起き、6時半出勤がルーチン。

東京で暮らしていた時には絶対考えられなかった生活。
日本に帰ったら、きっと自分のライフスタイルも大きく変わっているんだろうな。

DSC08639.jpg
おまけ。こんなトレーニングセットも自分で作っています。

【2011/09/19 06:47】 | 日々の風景
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kambe
毎回楽しく読ませていただいてます.
私がPCの前で論文を書いているのでは絶対に気づけない発見を毎日なさっているのは,すごいなと心から尊敬しています.

ところで,種子の国外移動って,法律的に問題ないんでしょうか?ちょい,気になってしまいました.

お体お気をつけて.
更新を楽しみにしています.

久しぶり~
桐生
さすがカンベさん、三四郎らしいコメントをありがとう(笑)!

一応法令では「7.トウガラシ属 20.ラッカセイ 21.Hibiscus(オクラ等) 24.レタス 26.トウモロコシ 30.エンドウ 38.ダイズ 43.トマト」は輸入許可が必要らしいから(ちゃんと問い合わせましたよw)、それは日本産のは植えてないよ。写真中に青々としげってるキャベツやトマトは、ザンビア品種です。

でも気になるので、上リストに無い日本野菜でも、一応F1種子を買っていて、増えないようにはしています(^_^;)

そうか
kambe
こういうときに,F1種子は役に立つんですね.
コロンブスの卵です!

おーついに!
ayano
ついにひよこを飼い始めたんだね!
あのお庭がこんなふうに・・・
なんだか感慨深いです!!

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日付が前後するのですが、3月第1週、
マザブカの街で暴動が起こりました。
学校の窓ガラスは投石によって割られ、
近くでは銃声が鳴り響き、
僕は自宅待機を命じられていました。

 + + + + +

事の発端は、貧困居住者地域のバーで放映されていた
サッカーの試合観戦とのこと。

試合結果が火種でサポーター同士で喧嘩になり、
制止しようとした警官が催涙弾を使用したために店内が混乱。
逃げ惑う人々に踏まれて一般人2名が死亡しました。

翌日以降、これ対し市民が抗議デモを行ったのですが、
警官隊と衝突し、何と警官が一般市民を射殺。
怒った市民は遺体をリアカーに乗せて警察署前を占拠。
幹線道路ではタイヤが燃やされて通行不能となりました。

事件には何の関係の無いはずの僕の学校も、
興奮した市民にとばっちりを受けて投石の対象となり、
窓ガラス数枚が割られました。
職員会議の途中に突然近くで銃声が鳴り響いたと思ったら
トラックに乗った暴徒が学校の近くまでやってきて、
生徒達はパニックになって逃げだす始末。
泣きわめく生徒を捕まえて連れ戻して、
親が迎えに来るまで教室の中に閉じ込めておくという
壮絶な仕事を経験しました。

その後、僕が学校に居てもやれることは何も無いばかりか
外国人が居てはかえって狙われる危険性があるということで、
4日間に渡って自宅待機の日々が続きました。

最終的に6~7名の市民が亡くなり、
最初に催涙弾を使用した警官とその上司が
ごっそり入れ替わるという大きな事件になりました。
警察官絡みの事件で犠牲者が出るのは、
ザンビア全体で見ても約20年ぶりの事と聞きました。

赴任3週間目にしてこんな事件に遭遇するとは、
運が良いんだか悪いんだか分かりません…。

それから3日間、生徒は誰も学校に来ることは無く、
自動的に休校になりました。

教育は、平和な環境が整って初めて成り立つことを
誰もいない平日の学校に一人立ちながら感じていました。
雨が、強く降っていました。

亡くなられた方々のご冥福を、
心からお祈りします。

 + + + + +

こんな事件があった翌週に日本の地震が起こったため、
地震の後の日本人の行動と、ザンビア人の行動を、
否応無しに比較してしまいます。

日本では地震の直後から、人々は、
スーパーでは散乱した商品を拾ってきちんとレジの列にならび、
何百メートルも続く駅の行列で黙って待ち続け、
駅構内や路上で夜を明かさざるを得なかった人々には、
ホームレスの方々が段ボールを貸していたと聞きます。

翻ってザンビア。
マザブカでの暴動が予想外に
長引いてしまった原因の一つに、
全国各地から混乱に乗じて一儲けしようと考えた
泥棒等が集まって来ていたことがあると聞いています。

状況は意図的に混乱させられて、
何の関係も無いスーパーマーケットや
外国人経営の商店が襲われて、
食料品やセメントが盗まれていったそうです。

カオンガBasic Schoolが休みになったのも、
結果的に生徒が来なかったからそうなっただけで、
正式なアナウンスは何も無く、
僕と、若い男性の先生2名だけが、
誰もいない学校で生徒が来るのを1時間以上待ち続けていました。
状況を把握し、指示を出さなくてはならないはずの管理職が、
誰一人として動いていませんでした。

ここでは、残念ながら多くの人々が、
日本人の規範意識から見たら悲しくなるような
こうした行動を取ります。

「当たり前だ。だから『途上国』なんだ。」

と日本人の専門家の方に言われたことがあったのですが、
その台詞の意味が不気味な重苦しさを伴って
段々と実感として理解出来てきました。

 + + + + +

この違いは一体どこから来るのでしょう。

文化・慣習と言ってしまえばそれまでかもしれませんし、
「衣食足りて礼節を知る」とあるように、
他者を思いやる前に経済的余裕が無いという現実も、
大きく影響しているのは事実でしょう。

ただ、こうして学校現場にいると
「教育」の責任も少なくないように思います。

日本では、
「途上国の人々」=「お金は無くてもみんな笑顔で仲良し」
というステレオタイプなイメージがあるようにも感じますが、
生徒と先生の関係で言えば(生徒同士もですが…)、
事実は全く逆であるように感じています。

大半の先生は、基本的に生徒を信用していません。
他者を傷つけるような汚い言葉が日常的に飛び交います。
例えば先日、僕が教員控室に生徒を入れて話をしていたところ、
「Mr.kiryu、生徒を信用するな。そいつらは目を離すとすぐに職員室から物を盗む。」
と生徒の目の前で言い放ってきました。耳を疑いました。
これだけ整理整頓が出来てなければ、
そりゃあ物も無くなるだろうと思うのですが、
無くなったものは基本的に「盗まれた」で済ませようとします。
仮に生徒の誰かが盗んだのが事実だったとしても、
そんなことを教師が口にするのは、絶対に間違ってると思うんです。
数名の先生はいつも片手に木の棒や鞭を持って、
まるで牛の群れを追うかのように、
生徒を叩いて移動させます。それも、笑顔で。
授業を受けている生徒を呼び出して、
自分のおやつを買いに使い走りをさせます。

こんな環境で、相手を信じる心が、
ましては他者を思いやる心が、育つでしょうか。

「理数科教師」という肩書きで派遣されてはいるものの、
ザンビアの教育の現状を知れば知るほど、
理科や数学の能力以前に、
変えなければいけない点が多すぎるように思えてなりません。

こんな環境にも、こんな生徒と教師の関係にも、
違和感を感じているのは活動初期の今の段階だからで、
やがては慣れていってしまうのでしょうか。
嫌です。慣れたくありません…。

せめて自分は、
生徒の前では笑顔でい続けよう。
安心して話の出来る大人であり続けよう。
他の先生方にどんなに好奇の目で見られても、
自分が信じる「正しさ」に正直に活動しよう。

そう心に決めて、今日も学校へ向かいます。

【2011/03/25 21:00】 | 日々の風景
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日本であまりに悲しい災害が起こってしまったために、
しばらくブログの更新等を自粛していました。

東北地方太平洋沖地震で被災した方々に対し
心よりお見舞い申し上げるとともに、
一日も早い復興を祈っています。

 + + + + +

3月11日ザンビア時間AM8時頃、
「Nihon, jishin attamitai」
という同期隊員からのメールが第一報でした。

最初はまさかこんなに大きな地震だとは想像もしておらず、
ニュースやツイッターで流れてくる情報があまりに衝撃的で
「これが日本か…」と信じられず、涙が止まりませんでした。
その夜を境に、ザンビアで流れる国際ニュースには、
連日"JAPAN QUAKE"の文字が流れるようになりました。

その日の夜はちょうど首都ルサカに
隊員が集合する機会があったのですが、
誰もが無言でニュースを見つめ続けていて、
お互い、かける言葉がありませんでした。

自分が力になれる場所を求めてザンビアに来たはずなのに、
今この状況で日本に居られないことが非常に歯がゆく、
何をするべきか悩み続けています。
きっと、世界中のJOCV同志3,000人が同じ気持ちです。

 + + + + +

ただ、それと同時に、
日本人の素晴らしい行動も数多く耳にしました。

地震が起こったその日のうちに、
個人は避難場所として自宅を開放したり、
新聞社は誰でも記事を見れるようにネットで公開したり、
電話や無線LANが無料になったり、
電車やバスは深夜に臨時便を走らせたり、
誰もが、「自分には何が出来るか」と当たり前のように考えて行動して、
暴動や強盗も殆ど起こらず、
品物の散乱したスーパーでも人々はきちんと列に並んでいる様子を見て、
そんな日本人の姿に、ものすごく感激しました。

「感激した」なんていいうと他人事のようですが、
この日ほど、自分が日本人であることを誇りに思った日はありませんでした。

BBCは今回の対応を、
「地球最悪の災害が、世界で一番訓練されて準備された場所で起こった。」
と、絶賛していたらしいですが、本当にそう思います。

 + + + + +

せめてここにいながら出来ることは無いかと思って、
ザンビア国内でも義援金を集めたりしました。
他国でも日本人の間で募金を募る動きがあったり、
現地の人々が支援金を集めたりしてくれていると聞きます。
そしてもっと、ここにいるからこそ
出来ることもあるのではないかと感じています。

 + + + + +

実は、先週月曜日、配属先の学校で生徒達に
「先週末に日本で起こった災害を知っているか?」
と聞いたところ、殆どの生徒は誰も何も知りませんでした。
愕然としました。

さすがに同僚の先生方は地震のニュースを知っており、
週末には家族の安否を気遣うメールをくれたり、
月曜日に出勤するとすぐに「大丈夫か?!」と聞いてきてくれたりして、
彼らの思いやりには非常に救われました。

一方で、BBCやラジオを聞いていない子ども達なら、
知らなくても当然であることは理性では理解できるのですが、
同じ地球上に住んでいて、
何で同じ人間がこんな状況にあることを知らないんだろう。と、
日本にいた時に海外に対して感じていたことを、
逆の立場で初めて感じました。
ショックでした。悲しくなりました。

「地震」と言っても地震の少ない
アフリカ大陸に住む彼らにはイメージできないようで、
「でも生活に影響が出るほどじゃ無いんでしょ?」と、
雨風の程度に考えているようです。

地球の裏側の人間の幸せを願うということは、
とても難しいことだと思います。
ですが、これからの時代に生きる人間として、
外の世界で何が起こっているのかを知り、
自分たちが何をするべきか、どう生きていくべきか考えていくことは、
日本でも海外でもいかなる社会においても「善き市民」として
必要な能力であると感じています。

 + + + + +

そう考えて、
今回の地震がどれだけの影響を及ぼしたのか、
そこで日本人や他国の人間がどういう行動を取ったのかを、
世界中に伝えて、一緒にこれからの社会を考えていくことも
日本にいま居ることが出来ない日本人だからこそ、
出来ることの一つでは無いかと思って、
「伝える」活動も他のボランティアのみんなに
呼びかけてみました。

今はまだ緊急援助の段階で
その時期では全くないかもしれませんが、
数か月後~数年後にかけて必要になってくる支援であると感じています。
今回の経験が、極限の状況下でも、
互いを思いやり、助け合った日々として、
人々の記憶とこれからの歴史に刻まれ、
これからの世界の礎となる日が来ることを願っています。

嬉しい事に日本大使館やJICAの職員の方々含め
多くの方々から賛同のメッセージを頂き、
これから本格的に動き出していこうと思っています。

ザンビアの中高生の教養は、先進国の価値観からすれば
はっきり言って日本の子ども達からは想像も出来ないほど低いものです。
(あくまで、僕らの価値観からすれば、です。
 僕が知らないことを山ほど彼らは知っています。)
だからこそ
「この子ども達を地球市民たらしめるために必要な教育を考える」
というのは、僕のこれからの活動の軸の一つになりそうです。

 + + + + +

1年10か月後、自分が日本に帰った後でも、
まだまだ震災前の姿とは程遠い状況にあることでしょう。
いやむしろ、今回地震が全ての日本人に
「自然とどう向き合って生きていくか」
「どんなライフスタイルを目指すのか」
という極めて大きな問いを投げかけた以上、
震災の前と全く同じ状況など、
二度とやって来ないかもしれません。
このような問いを、
全ての人が一緒に考えることが必要になってくるのでしょう。

そんな時代に少しでも貢献できる教育者になれるよう、
今は、ここにいる日本人としてやれることを、
一つずつ確実に、やっていきたいと思います。

今この瞬間も日本で働いている全ての人々に敬意を表するとともに、
一人でも多くの命が助かることを、
被災した方々が一日も早く平穏な生活を取り戻せることを、
心から祈っています。

【2011/03/22 19:57】 | 日々の風景
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ヤマダです
コエリではなく、はるはるで~す。メールの返事、どうもありがとう。地球の裏側での苦悩、わかります。今も福島、茨城沖で余震が続いています。神奈川県の方はずいぶん揺れが小さくなりました。地震警報が出るたび、条件反射で心臓がドキドキします。

被災地からも少しずつ、明るいニュースが入ってくるようになりました。私の周りでも被災地を救援するための活動が始まっています。みんなが自分にできることで協力したらいいと思っています。そして、海外から日本を応援するメッセージや募金活動に心励まされます。

そして今は、原発問題が非常に気になるところです・・・。

ブログの過去記事、ちょっと読みました。ザンビアの話、なつかしくもあり、興味深いものもありで・・・。またあとで読みに来ますネ。

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