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ザンビア生徒の学力に関する記事を以前書きましたが、
どうすれば彼らの学力を上げることが出来るのか、
もっと言えば、どうすれば彼らを救えるのか、
自分なりに調べて思いつくことを色々やってみました。

それでも、テストをすると並ぶ0点の山。
生徒が不真面目な訳では全くありません。
先生の話を真剣に聞くという意味では、
日本の平均的中学生より授業態度は遥かに良いのです。
でも、理解出来ない、もしくは覚えていない。

ある時ふと、小テストの採点をしていて、
自分の教えようとしていることがあまりに伝わっていないことに悲しくなって、
生徒に申し訳無くなって、泣きたくなりました。
そして、決意しました。もう自分が教える事はやめよう、と。

そもそもどんなに日本で開発された工夫した教材を使ったところで、
教科書が読めず、先生の言っている英語が言語として理解できないのであれば、
自分には彼らを救うことは不可能だと見切りをつけました。

先生の話を聞いている時間は、
低位層の生徒にとっては意味不明の外国語をただ黙って聞き流しているだけの
無駄な時間でしか無いのです。

そこで、数学については上越教育大学の西川純教授の提唱される
『学び合い』スタイルに賭けてみることにしました
(『学び合い』について詳しくはネットで検索してみて下さい)。

大雑把に言うと、教師は課題を提示するだけで教科内容を教える事はせず、
クラスの雰囲気作りに徹し、子ども達は自由に立ち歩いてお互い話し合い、
教え合って勉強するというスタイルです。

自分に限らず、ザンビア人教師ですら教師の説明だけで
子どもに理解させることは不可能である以上、
教師の介入を限界まで削って子ども同士で教え合わせる以外に
彼らの学力を上げる方法は無いと感じたのです。

西川先生の著書でも、「途上国では難しいかもしれない」と書かれていましたが、
幸いにして自分の任地は模造紙やペンが簡単に手に入り、
外国からの寄付で集まった数学の教科書が十冊以上もある状況でしたので、
該当する教科書の内容は全部模造紙に書いて教室に貼り出し、
どの教科書を使っても良いし何をしても構わないと生徒に貸し出して、
黒板にはクラス名簿を作成して、
とにかく「クラスメートを一人も見捨てないことの大切さ」
「教師に頼らずに問題を解決する有効性」を語り続けました。

結論から言うと、これしかないと思いました。
もともと『学び合い』の考え方は日本にいた時から興味を持っていたのですが、
「ザンビアでは日本スタイルを踏襲するのは無理」と決めつけて、
話し合い活動をする時でも自分が最初に要点を教えてしまっていたのですが、
それでは生徒は教師に頼り続けてしまうことにようやく気付きました。

自分が教える時間は、ばっさりとゼロにして、
授業中は、たとえ生徒が質問してきても、一切教えず
「もうちょっと自分で考えてみるか、誰かに聞いてみたら?」
と言い続けました。

最初は戸惑っていた生徒も、
4回目の授業くらいから明らかに教室の空気が変わりました。
とんがった感じの女子が、おとなしい男子に自分から話しかけるようになったり、
クラスでトップの子は、自分の課題を急いで終わらせるとすぐに
「分からない人いる?!」
と教える相手を探し始めたり…。

自分が教えていた時よりよっぽどきちんとしている生徒のノートを見ると、
「今まで自分は何をしていたんだろう」と苦笑してしまいます。
数字もろくにかけないような生徒が点数が目に見えて上がった訳ではまだありませんが、
信じて続けていきたいと思っています。

 + + + + +

ザンビア教師の考え方は、競争原理ばかりです。
小学校1年生ですら、問題が出来ない子には叱りつけ、
授業中に私語をしていれば理由を言わずにただパニッシュメントを与えます。

学力向上の為だけではなく、人間関係づくりの考え方としても、
ザンビアの先生にも『学び合い』は広げていきたいと感じています。

ただ、それには先ずは自分のクラスの成績が
明らかに他のクラスより良くなることが最低条件だと感じています。
9月~11月の来学期、もしくは来年1月からの学期で結果を出さなければ、
「日本人のボランティアが何だか変なことをしているよ」
と言われるだけでしょう。
そう考えると、2年という期間は決して長くないと思います。

教師の在り方としての『学び合い』と、
模倣の対象となるアイデアそのものとしての
「身近なもので作れる理科実験の取り入れ方」が、
理数科の授業でこの2年間でザンビアに伝えていきたいものの柱になりそうです。


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(2010/09/18)
西川 純

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【2011/07/24 17:24】 | ザンビア教育事情
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学び合い,ステキ!
ayano
記憶力がいいはずの年齢の子たちがわからない・覚えていないっていうのは,「授業」がブラックボックスになっちゃってるってことなんだろうか...
(攻略法の分からないゲームのような...)

学び合い,楽しそう.
少なくとも生徒の姿勢が変わったのは素晴らしいことだね!

ザンビアは冬でしょうか?
体調に気をつけて頑張ってください!

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 公立学校の先生として活動をしていると、
日本の子ども達とザンビアの子ども達の学力の差、
ザンビア国内での子ども達の学力の差が、
否応無しに気になってしまいます。

 ザンビアでも一部の学校には非常に優秀な生徒もいます。
しかし、それは本当にごく一部の私立学校や有名進学校のみで、
平均的な子ども達の学力は、
残念ながら日本とは比べ物にならないくらい低いと言わざるを得ません。

 + + + + +

 僕の活動している学校は都市の公立学校なので、
ザンビア全体でみればそれでもまだ恵まれた子ども達が集まっているのでしょう。
それでも、特に自分の担当している理科と数学の現状は、
日本にいた時に想像していたより遥かに壊滅的でした。

普段の授業では、とにかく簡単なところから始めて、
分かりやすい授業をしようと心がけているのですが、
それでも現状を知れば知るほど、
ザンビアの子ども達の学力が予想以上に低かったことに愕然とします。

例えば、中学2年生に対する数学の授業。
小学校1年生から数学の授業は7年間受けてきているにも関わらず、
クラスの4割くらいは「3+4」などの足し算が暗算で出来ません。
ノートの後ろに3本棒を書いて、さらに4本書いて、
最初から数えてようやく「7」と答えます。
これが出来る子はまだ数の概念が理解できているので平均より上です。

1割くらいの子は、3と4のどちらが大きいのかすぐに答えられず、
数字を正しく書けない子も珍しくありません
(3を逆に書く鏡文字を書いてしまったり、6と9の区別がついていなかったり…)。
分数や少数の概念など、論外です。
一体彼らは小学校で何を学んでいたのか。
進学以前の問題で、大人になってから日常生活に
支障が出るのでは無いかとさえ感じてしまいます。

そんな現状の子ども達に対して、
教科書では1次関数や連立方程式を教えることになっているのです。
内容を理解している子なんて、学年に1人いるかどうか。
ザンビア人の先生が、大多数の子どもが全く理解していないのを承知の上で、
彼らを「切り捨てて」授業を進めている気持ちも分からないでもありません。

 + + + + +

母国語ではない英語で行われる授業、
先生が黒板に書いたことを写すだけの小学校の授業、
低い栄養状態で阻害された心身の発達、
勉強など到底出来る状況に無い家庭環境、
生徒の現状と乖離した教科書、
教科書はおろかペンやノートも満足に買えない経済状況、
数学や科学と無縁な伝統文化、
ろくに授業に来ないザンビア人教師、
教師数の不足による大人数の授業、
頻繁に授業が潰れるずさんな学校運営…。

生徒の低学力の背景にある「言い訳」を探せば、
いくらだって見つかります。

でも、問題の原因を自分以外のところに求めだしたら、教師失格。
教室で起こっていることの全ては、目の前の子どもの現状の全ては、自分の責任。
どこから変えたらいいのか、まだ答えは自分の中でも出ていません。

だからこそ、変えようと試みられる余地が山ほどあります。
自分のように教師経験の殆ど無い若造でも、
「もっとこうしたらいいのに」と思う部分が山ほどあります。
そして、「じゃあこうしたらうまくいくかも!」と思って試すことが、悉く裏切られます。


自分にとっては、なんと恵まれた環境でしょうか。

「どんなことをしてもいいよ。どこまで頑張ってもいいよ。」
そう言われて放り込まれる仕事が、日本で考えられるでしょうか。
好きなだけ頑張ることを許されている。
その身分を税金で保障されている。
そんな現実に対する感謝と責任感を忘れず、活動を続けていきたいです。

まだまだ、やれることはあるはず。
「こんなもんでいいや」
そう思ったら、仕事はとたんにつまらなくなる。

【2011/07/24 16:47】 | ザンビア教育事情
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