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日付が前後するのですが、3月第1週、
マザブカの街で暴動が起こりました。
学校の窓ガラスは投石によって割られ、
近くでは銃声が鳴り響き、
僕は自宅待機を命じられていました。

 + + + + +

事の発端は、貧困居住者地域のバーで放映されていた
サッカーの試合観戦とのこと。

試合結果が火種でサポーター同士で喧嘩になり、
制止しようとした警官が催涙弾を使用したために店内が混乱。
逃げ惑う人々に踏まれて一般人2名が死亡しました。

翌日以降、これ対し市民が抗議デモを行ったのですが、
警官隊と衝突し、何と警官が一般市民を射殺。
怒った市民は遺体をリアカーに乗せて警察署前を占拠。
幹線道路ではタイヤが燃やされて通行不能となりました。

事件には何の関係の無いはずの僕の学校も、
興奮した市民にとばっちりを受けて投石の対象となり、
窓ガラス数枚が割られました。
職員会議の途中に突然近くで銃声が鳴り響いたと思ったら
トラックに乗った暴徒が学校の近くまでやってきて、
生徒達はパニックになって逃げだす始末。
泣きわめく生徒を捕まえて連れ戻して、
親が迎えに来るまで教室の中に閉じ込めておくという
壮絶な仕事を経験しました。

その後、僕が学校に居てもやれることは何も無いばかりか
外国人が居てはかえって狙われる危険性があるということで、
4日間に渡って自宅待機の日々が続きました。

最終的に6~7名の市民が亡くなり、
最初に催涙弾を使用した警官とその上司が
ごっそり入れ替わるという大きな事件になりました。
警察官絡みの事件で犠牲者が出るのは、
ザンビア全体で見ても約20年ぶりの事と聞きました。

赴任3週間目にしてこんな事件に遭遇するとは、
運が良いんだか悪いんだか分かりません…。

それから3日間、生徒は誰も学校に来ることは無く、
自動的に休校になりました。

教育は、平和な環境が整って初めて成り立つことを
誰もいない平日の学校に一人立ちながら感じていました。
雨が、強く降っていました。

亡くなられた方々のご冥福を、
心からお祈りします。

 + + + + +

こんな事件があった翌週に日本の地震が起こったため、
地震の後の日本人の行動と、ザンビア人の行動を、
否応無しに比較してしまいます。

日本では地震の直後から、人々は、
スーパーでは散乱した商品を拾ってきちんとレジの列にならび、
何百メートルも続く駅の行列で黙って待ち続け、
駅構内や路上で夜を明かさざるを得なかった人々には、
ホームレスの方々が段ボールを貸していたと聞きます。

翻ってザンビア。
マザブカでの暴動が予想外に
長引いてしまった原因の一つに、
全国各地から混乱に乗じて一儲けしようと考えた
泥棒等が集まって来ていたことがあると聞いています。

状況は意図的に混乱させられて、
何の関係も無いスーパーマーケットや
外国人経営の商店が襲われて、
食料品やセメントが盗まれていったそうです。

カオンガBasic Schoolが休みになったのも、
結果的に生徒が来なかったからそうなっただけで、
正式なアナウンスは何も無く、
僕と、若い男性の先生2名だけが、
誰もいない学校で生徒が来るのを1時間以上待ち続けていました。
状況を把握し、指示を出さなくてはならないはずの管理職が、
誰一人として動いていませんでした。

ここでは、残念ながら多くの人々が、
日本人の規範意識から見たら悲しくなるような
こうした行動を取ります。

「当たり前だ。だから『途上国』なんだ。」

と日本人の専門家の方に言われたことがあったのですが、
その台詞の意味が不気味な重苦しさを伴って
段々と実感として理解出来てきました。

 + + + + +

この違いは一体どこから来るのでしょう。

文化・慣習と言ってしまえばそれまでかもしれませんし、
「衣食足りて礼節を知る」とあるように、
他者を思いやる前に経済的余裕が無いという現実も、
大きく影響しているのは事実でしょう。

ただ、こうして学校現場にいると
「教育」の責任も少なくないように思います。

日本では、
「途上国の人々」=「お金は無くてもみんな笑顔で仲良し」
というステレオタイプなイメージがあるようにも感じますが、
生徒と先生の関係で言えば(生徒同士もですが…)、
事実は全く逆であるように感じています。

大半の先生は、基本的に生徒を信用していません。
他者を傷つけるような汚い言葉が日常的に飛び交います。
例えば先日、僕が教員控室に生徒を入れて話をしていたところ、
「Mr.kiryu、生徒を信用するな。そいつらは目を離すとすぐに職員室から物を盗む。」
と生徒の目の前で言い放ってきました。耳を疑いました。
これだけ整理整頓が出来てなければ、
そりゃあ物も無くなるだろうと思うのですが、
無くなったものは基本的に「盗まれた」で済ませようとします。
仮に生徒の誰かが盗んだのが事実だったとしても、
そんなことを教師が口にするのは、絶対に間違ってると思うんです。
数名の先生はいつも片手に木の棒や鞭を持って、
まるで牛の群れを追うかのように、
生徒を叩いて移動させます。それも、笑顔で。
授業を受けている生徒を呼び出して、
自分のおやつを買いに使い走りをさせます。

こんな環境で、相手を信じる心が、
ましては他者を思いやる心が、育つでしょうか。

「理数科教師」という肩書きで派遣されてはいるものの、
ザンビアの教育の現状を知れば知るほど、
理科や数学の能力以前に、
変えなければいけない点が多すぎるように思えてなりません。

こんな環境にも、こんな生徒と教師の関係にも、
違和感を感じているのは活動初期の今の段階だからで、
やがては慣れていってしまうのでしょうか。
嫌です。慣れたくありません…。

せめて自分は、
生徒の前では笑顔でい続けよう。
安心して話の出来る大人であり続けよう。
他の先生方にどんなに好奇の目で見られても、
自分が信じる「正しさ」に正直に活動しよう。

そう心に決めて、今日も学校へ向かいます。
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【2011/03/25 21:00】 | 日々の風景
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